会敵

 《災厄の蝿》はめっきり姿を表さなくなった。しばらくビーコン付近を監視し、《災厄の蝿》が転送されては高熱で破損することを確認し続けていた。高熱ゆえに破損した機体を回収することは叶わなかったが、しばらくの平和が約束された。
 破損し続けるパターンを繰り返せば、ゾルタックス帝国も何かしらの対策を打ってくることは予想できた。そのため、防衛対策を敷くと共に、フローラベルの他の街にも同様の警戒と対策を行うよう、エルドリンとヴィオラスの名前で通達を出している。リアーゼの存在と技術を広めることにもなるため、混乱や不和を生む可能性についてリアーゼは心配をしていたが、懸念をよそに技術と知識はスムーズに浸透していった。
 
 リアーゼは引き続きフローラベルを拠点としつつ、宇宙船の修理に取り掛かっていた。ヴィオラスとの暮らしの中で、彼はフローラベルに溶け込み、しかし異星人として話をするのを欠かさなかった。自身がどこからやってきたのか、どういった背景があるのかを常に語るようにしていた。
「リアーゼ! 船団の話をして!」
「また? ラランはその話が好きだね」
 今日のゼリアル――恒星からの光が緩やかに、やがてほとんど弱まり、夜へと移行する時間帯――での食後に、リアーゼに最も懐いた少年、ラランが駆け寄る。ラランはリアーゼの話をよく聞き、ヴィオラスも目をかけている存在だった。
「リアーゼの船団に、僕も行けるかな?」
「来客自体ほとんど無いからなぁ……。船に戻れたら、艦長に掛け合ってみるよ」
「ほんと? やったぁ!」
「リアーゼ、私も。私も行く」
 ヴィオラスは身を乗り出すようにしてリアーゼに迫った。その様子がラランと同じ年頃の、幼い子供に見え、リアーゼは思わず破顔した。
「もちろんだよ、ヴィオラス。君に良くしてもらったことは、必ず報告するよ」
 宇宙船の修理はなんとか進み、八割ほどの修繕がなされている。このまま船の修理が進めば、ひと月もせず飛び立てるだろう。皆、リアーゼがいつか離れていくことを受け入れながらも、悲しみを感じないように振る舞っていた。
「僕の船団――ネブラス・コンヴォイ《星雲の一団》の一員として生まれた、僕と仲間のお話」
 広場の語り場の腰を下ろし、リアーゼが静かに語る。ヴィオラスと違いアゼムをほとんど感じないにも関わらず、フローラベルの人々はリアーゼの話が好ましかった。裏を返せば、異星人にも関わらすアゼムを僅かに含むようになったのだ。
「僕は、889番目の子供達として生まれた。――今は、1024番目の子供達が生まれているので、僕は割とお兄さんな方だ」
 誰かが話をするとき、語り場の中央には火が灯る。皆はそれを囲むようにして座り、話の主をじっと見つめる。リアーゼが話し始めると、小さい火が灯り、あらかじめ焚べてあった燃え木に移り、ほんのりとした橙の炎が揺れあがった。
「八歳になった子供たちは皆、戦士として育てられる。僕たちは母星を取り戻すべく戦う。母星はね、青くて美しくて……ここ、セリュナに似てる。母星へ降り立ったことはないけれど、ライブラリに残された姿にとても似ていて、初めて見た時は導かれたかと思ったくらいだ」
 襲撃を受けながら逃げ、その先で見つけた青と緑の惑星、セリュナ。リアーゼは、コンソールの音が一瞬遠のくほどの美しさを覚えたことを思い出す。昨日の様で、はるか前のようにも思えた。
「僕たちはたくさんの訓練を積んで、どんどん強くなる。強くなれば実戦へ投入される。強くなることは良いことだ。守れる物が増えていく。僕はそれが、誇らしく思う」
 リアーゼは自分の両手を緩やかに広げて、手のひらを見つめた。美しい相貌とは違い、手や指は荒れている。その傷や荒れが、彼の強さを物語っている。
「特に仲のいいメンバーが居るんだ。僕と同い歳の友人たちで、兄弟でもあって、ライバルでもある。アザリア、ヒルビアイス、クォンツァー、ユリヒコ。皆、……僕の仲間だ」
 ラランは思い描く。青と黄色の戦闘服で、白銀の髪をして……リアーゼと同じような特徴を持った少年たち。真っ直ぐな瞳には迷いがなくて、自分達がすべきことを理解しているような、そんな顔つき。
「アザリアは、長い髪が美しくて、すごく美意識が高いんだ。強さだけではなく美しさにもこだわりがあって、僕はよく彼の髪を梳かしたよ。誰よりも華麗で、どんな場所にいても目を引く人だった」
 リアーゼはしばらく空を見上げて、深く息を吸った。その息には、過去への郷愁と、未来への希望、ほんの少しの後悔が混ざっているようだった。
「ヒルビアイス。一番背が低かったけど、成績は一番良かった。すごいんだ、狙撃なんて僕の数倍上手かった。機器制作だって、僕より何倍も……。とにかく、すごく優秀で明るい奴なんだ。皆にも会わせたいな」
 もしもフローラベルにリアーゼの友人たちが下りてきたら。ラランは話を聞きながら、そんな日を想像してみる。
「クォンツァーは、気難しい人だった。だけど誰よりも真剣に物事を考えていた。僕に対して、注意深い思考訓練をしてくれたのは彼なんだ。シン・イエローのマントは、彼のトレードマークだった」
 リアーゼの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。星空の下で一際、輝いて見えた。
「ユリヒコは誰よりもたくましい奴だった。成績がいまいち良くなくて、けれど実地では誰よりも勇気にあふれていて機転が利いた。しぶとさだけは一番なんだって笑って言うんだ」
 リアーゼの頬の上、涙が静かに一つ流れていく。流星を思い起こさせる光の筋に、聴く者の胸を打つ美しい涙だった。
「訓練は厳しいものだった。けれど前向きで居られたのは仲間がいたからだ」
 彼は静かに目を閉じて、思い出を辿るように語り始めた。
「船団の観測室は僕たちのお気に入りの場所だったんだ。仲間たちと集まって、コンソール先の星を眺めたり、未来について語り合ったりしていた」
 彼の目には遠い日の思い出が浮かんでいた。同時に、幼さの残る表情に変わっていく。
「アザリアは、古い曲を歌い出すことがよくあった。彼の声はよく響き渡ってとっても上手だった。ユリヒコと僕でよく伴奏をしてくれたんだけど、もう本当に下手でね」
 リアーゼの口元に優しい微笑みが浮かんだ。ついこの間のことの様に、仲間を思い出して語る姿は、等身大の彼を感じさせる。懸命に皆を引っ張ろうと気を張っている普段の姿とは全く違う様子だった。
「クォンツァーはいつも僕たちの演奏を冷やかしてきて、それをきっかけに皆で軽いノリのバトルが始まる。空気がピリピリする戦場とは違って、楽しい時間だった」
 風がゆるやかに皆を包み込み、星々が瞬く。観測室から見えていた星々は一つもないが、星の美しさはどこにいても変わらない。
「技術は父で、知識は母。一方的に降りかかるものではない。皆、優れた技術と知識を持っていて、僕に教えてくれた。僕が身につけたことは彼らから教わったことも数多くある。僕の宝物だ」
 ラランは励ますように、リアーゼの手を握る。子供特有の体温の高い手に、リアーゼの心はほんの少し上向いた。
「僕の宇宙船は概ね動くようになってきている。だから、ネブラス・コンヴォイに、信号を送っている。もちろん、僕たちにしか読み解けない暗号を使ってね。セリュナは青くて美しい。フローラベルの人々は優しくて温かい。だからこうして、僕は星々を見上げられる」
 語り場に集まっていた多くの住人たちは、リアーゼの心からの言葉を噛み締める。語り場での言葉に嘘を混ぜることはできないと分かっていても、――そして翻訳された言葉だとしても、リアーゼの中にある気持ちや想いは確かに届いていた。
「皆とヴィオラスに、格別の感謝を添えて、僕のお話はおしまい。今日も聞いてくれてありがとう」
 リアーゼはヴィオラスに微笑みを送る。話に聞き入っていた人々は、彼ら二人の特別な絆を温かな気持ちで見守っていた。
「ね、ね。リアーゼに恋人はいなかったの?」
 ラランは無邪気に尋ねる。思いがけない質問に、リアーゼはきょとんとした顔になった。
「恋人はいないよ。戦士は戦うことが仕事だから……」
 言葉を選びながら、リアーゼはそう答える。
「ふぅん。恋人にしたい人がどうしてもいた時はどうするの?」
「えっと……そうだなぁ……」
 リアーゼはすっかり困ってしまった。そういった話は今まで誰ともしてこなかったためだ。
「きっと、いつか。そういう人は必ず、しかるべき時期に巡り合うようにできてるんじゃないかな」
「どうして?」
「えっと……母星の言葉では、それを運命って呼んでいたよ。僕も上手には説明できないけどね」
「そっか! お導きだ!」
 お導き、リアーゼはラランの言葉を繰り返した。
「私たちにも、似たような考えがある。あらゆる繋がりや出会いは、アゼムの導きによって結ばれる。だから、アゼムの導き。そう呼ぶ」
 ヴィオラスがそう言うと、ラランは嬉しそうに跳ね回る。
「きっと、リアーゼがこの星に来たのもお導きだよ! リアーゼと賢者ヴィオラスは、すごく仲良しだもの。フローラベルに賢者ヴィオラスが来た時と、きっと同じ!」
 リアーゼはラランの考え方に照れ臭くなる思いをしつつ、柔軟な姿を微笑ましくも思う。特別な絆について、境目なく捉えることが、この地ではより自然なことの様に思えた。

 刹那、フローラベル中の警鐘が鳴り響く。それは、敵襲があった際に鳴る音色であり、心地よい会話を一瞬で打ち消してしまった。

 ◆ ◆ ◆

 街の中央広場には既に多くの戦士たちが集まり、武器を手に取り、迫るゾルタックス帝国の部隊に備えていた。空には帝国の巨大な戦艦が浮かび上がり、数々の小型艇が下降してきた。
 リアーゼはヴィオラスに向かって叫んだ。
「シールドを展開して、先ずは住民を守ることを最優先に!」
 ヴィオラスは頷き、古代語で言葉を紡ぐ。歌にも聞こえる詠唱を深めていくと、防衛システムが連動しはじめた。
「天幕、星の護り、土の粘り……! 来い、雷を携えて!」
 ヴィオラスは語り部として、セリュナ星の古代の力を使い、街全体を巨大な透明なシールドで覆った。リアーゼとヴィオラスとで話し合い、二人の技術を融合させて構築したものだ。そのシールドは攻撃のほとんどを跳ね返して防ぐ力があった。
「リアーゼ!」
「ありがとう!」
 手短なコミュニケーションのみで疎通し、ヴィオラスは別の地点へと走り出した。
 シールドの内側で、セリュナの戦士たちは陣形を組み、各配置へと向かう。戦士たちに混乱はなく、むしろ昂る士気に溢れていた。リアーゼは門前に立ち、全体の指揮を取るべく思考を巡らせる。
「先遣部隊……機器の不調を調べるだけであればこの様な目立つことはしない……であれば狙いは……」
 リアーゼは状況から仮説を立て始める。ゾルタックス帝国・先遣部隊。隠密作戦や掃討を目的とした襲撃で駆り出されるエリート部隊。考えられる任務と目的はいくつも考えられた。ターゲットに関する情報収集、小さな拠点の構築、あるいは潜伏、戦力減、威嚇、優位姿勢と正当性のための和平締結、etc……
 ゾルタックス帝国の部隊はセリュナの戦士たちと違い、機械的な装置や高度な武器を所持する。セリュナの戦士たちは環境や地形を活かして、ゲリラ戦を展開することになるだろう。
「皆、事前に立てている作戦通りに! 想定外のことがあれば報告を!」
 リアーゼはヴィオラスから予め借りたアイーダ・グリーンの宝玉に向かって叫んだ。リアーゼでも扱える、戦士全員に声を届けるものだった。
「力を合わせよう。君らの星のために。僕は助けよう。君らの星のために……」
 自らに言い聞かせる様な声は、緊迫さを増していく。喉が震えない様に、リアーゼは目に力を込めて見開いた。

 ◆ ◆ ◆

 夜の闇が深まる中、ゾルタックス帝国の先遣部隊がフローラベルの外れに着地した。セリュナの戦士たちが急ぎ組んだ陣形の中、カレイン、シオン、トルヴァは最前線に位置していた。
 ゾルタックス帝国の先遣部隊は、彼らの名の通り、帝国の圧倒的な技術力と軍事力を持つ部隊の先駆けとして、敵地に降り立つエリート集団である。
 彼らの外見はセリュナの人々にとっては異形の姿だった。兵士たちは光沢のある黒い装甲に身を包んでいた。その装甲は光を吸収する特殊な材質で作られており、夜の闘いでは彼らをほとんど目立たせない。頭部は、長く伸びたシャープなヘルメットで覆われ、その中から赤い光を放つ瞳が冷たく輝いている。これがゾルタックス帝国の兵士たちのトレードマークであり、彼らの存在を示す恐ろしい証であった。
 彼らの装備は最先端の技術を駆使しており、装甲はエネルギー弾を跳ね返すシールド技術を組み込んでいた。さらに、彼らの手には高エネルギーを放つブラスターがあり、これ一つで多くの敵を葬ることができる。また、腰には細長い光の刃、ライトソードを携えており、近接戦闘でもその威力を発揮する。彼らの背中には、小型のジェットパックが取り付けられており、短時間での高速移動や、空中からの急襲が可能となっている。その動きは素早く、かつ静かで、敵に察知されることなく接近し、一撃でその命を終わらせることができる。
 そういった代物であると、リアーゼから事前の情報がなければ、フローラベルの戦士たちも怯んでいたかもしれない。
 カレインは大きな双刃の斧を手にし、敵をじっと見つめていた。
「待ってたぜ、ゾルタックス帝国!」
 彼の声は低く、力強く響いた。指貫グローブに縫い付けられてた宝石が、カレインの昂りに練度するように、微かに明滅していた。
 トルヴァは細身の短剣二本を持ち、敏捷な動きで周りの状況を確認する。もじゃもじゃの柔らかそうな前髪の隙間から、刺すように鋭い眼光が覗く。
「やはり、装備が良いのか? 事前に聞いてはいたが、リアーゼのものに似てる。情報どおり、精度が高そうだ……気をつけて」
 シオンは長弓を構え、的確に矢を放ち始めた。遠くで悲鳴が上がる。アゼムが込められた矢は高い音を放ちながら一発、二発と続けざまに命中させ、部隊を混乱させた。
「先に仕留めてしまえば、その装備の出番も無いというもの」
 彼女の片目には、リアーゼから借りたスキャングラスが掛けられていた。技術に対しての飲み込みが良かったため、高度な技術を扱えるまでになっていた。ジェットパックで暗躍しようとした兵士たちを早くも仕留めたのだ。
「おお、向かって来るか!」
 先遣部隊の中から数名の兵士がカレインに向かって、銃火器を放ちながら突進してきた。彼は斧を振り下ろし、敵を一気に蹴散らす。彼の力強さは誰もが恐れるもので、敵は一歩後ずさった。
「何なんだこいつ……!」
「ハッハァ! 軟弱! 虚弱! そんなものか!」
 銃弾をものともしない肉体強化。皮膚は硬く、更に身体の外側に見えない鎧を纏っている様に見える。ブラスターや銃火器が効かない生物を目の前にした兵士から動揺が見える。
 トルヴァは音もなく兵士たちの背後を取り、短剣を使って彼らの隙を突いた。
「ッふ!」
「ギャアッ!」
 彼の身のこなしはまるで舞のようで、次々と敵を仕留めていた。腕力による身体強化ではなく、俊敏性の強化に振り切っている戦い方だ。スキャンなどで感知されていたとして、反応できない速度と不意を突く動きに特化している。驚くべき正確さで装甲の隙間に刃を突き立てていった。
 シオンは後方から支援を続け、カレインやトルヴァが囲まれたときには矢を放ち、彼らのピンチを救った。
「体力は温存して! けど出し惜しみもしないで」
 彼女の射撃は冷静で的確で、ゾルタックス帝国の兵士たちはシアンの腕前を警戒していた。

 三人は息を合わせ、ゾルタックス帝国の先遣部隊を追い詰めていった。しかし、数が多い。
「なんなんだ、この数! 想定より多くないか!」
「ここは街への最短距離……絶対に通してはならない!」
 終始、セリュナの戦士たちは絶え間ない連携を見せ、先遣部隊を制圧し続ける。ゾルタックス帝国の部隊は数で上回っていたが、セリュナの戦士たちの団結と、リアーゼからの事前情報の下で、辛うじて彼らを押し返し続けた。

 ◆ ◆ ◆

 ヴィオラスとエルドリンは、シアンたちとは反対側で街の守りを務めていた。聳え立つ岩山の上で、二人は進行するゾルタックス帝国の船艇を睨みつける。
「エル。私、前にでる。後ろ任せる」
「一応、お前は要人なんだがなぁ」
 エルドリンは苦笑する。こうなっては彼は止まらないと分かっているからだ。
「歳の離れた友人、エル。私はお前が治める街が好きだ。立ち並ぶ建物、広場、行き交う人々。木々も、空中も、塵ひとつさえ愛おしい」
 リアーゼの影響なのだろう、とエルドリンは思う。ヴィオラスは以前よりも考えていることを口にする様になった。以前は聡明な頭脳ゆえに、己の考えを周辺に知らせずに動き、誤解を招くことが多々あったのだ。
「あいつら……。木々を燃やし、異物のまま、この地を踏む。リアーゼとは大違い。彼は墜落してすぐの時から、配慮を欠かさなかった」
 ヴィオラスの衣服が風を纏う様に浮く。賢者の証でもある杖の宝玉が、これまでに無く『震えて』いる。
「誰しもに語るべきものがある。両手に持った宝がある。だが――……!」
 エルドリンは、彼から放たれる圧に対して思わず片目を瞑った。

 ヴィオラスは自らの鼓動に耳を傾ける。吐く息の熱を感じながら深く呼吸をし、体内で練ったアゼムを言葉で整えていく。
「我は星の子。空と大樹から降りて、火を灯す。火は炎。炎は焔。焔は我の腹の中――!」
 それは怒りだった。冷静さを欠き、頭の中まで焦がす炎を、ヴィオラスは純然な力へと変えていく。
「オヴァルム・ライナリス・テヴィオレ!」
 古代語で《永遠の盾、力の源、炎の舞》という意味を持つ詠唱。古代語による様々な作用は、語り部であるヴィオラスしか使えないものだ。ヴィオラスはこの地に住む人々よりも、星や大地といったものに近い。常人よりもアゼムを扱うのも蓄えるのも長けている上に、セリュナを取り巻く自然からアゼムを借りられるという特性がある。
 ヴィオラスへ紫と青の光が湧き上がり、それは瞬時に彼の全身を覆った。炎よりも高くゆらめく。光が少しずつヴィオラスへと収束し、彼は濃密なアゼムを纏う姿となった。彼の筋肉や骨、さらには細胞の一つ一つまでがこの古代の力で満たされている様だ。溢れるアゼムは光の粒子のように輝きを放ちながら、彼の身体を包み込んでいる。夜空に輝く星々のように美しく、それと同時に烈しい力が感じ取れるものだった。
「エルドリン」
 振り返った賢者の表情に、街の長は息を呑む。彼の皮膚に淡く輝く蔦のような模様が形成されていた。それは古代の記号や紋様のようで、セリュナの歴史やアゼムの知識が刻まれているかのようだった。眉間には輝線を模る金色の模様が浮かび上がり、瞳の周りは細やかなシン・シルバーのラインで縁取られた。彼の唇は赫く染まり、その色は彼の内に宿る炎の力を象徴するかのように深く、鮮やかだった。
「行って来る」
 彼の瞳はより鋭く、深い青色の光を放っていた。その瞳には何千年もの時を超えた知識と経験、そしてアゼムの無尽蔵の力が宿っているように見えた。顔立ちすら、より成熟し堂々たる威厳となっている。アゼムの力による強化が彼の存在そのものに浸透したことを感じさせた。
「ああ、ここで見ているから」
 エルドリンの言葉に満足したかの様に笑ったかと思うと、岩山からふわりと身を投げる。驚異的な身体能力を得たヴィオラスの姿は、木々や炎の化身にも見えた。緑と黄色の衣装が、空気と熱の流れを受けて不規則な鼓動を持つ生物の様に唸る。そのまま、広大な森の中へ溶けていくように降りていった。
 
 彼はどこまでいっても変わらないと、エルドリンは静かに感じ取った。
 ヴィオラスにとって言葉はアゼムの流れを整えるものであり、意思疎通のためにあまり用いてこなかった。突出した天才は言葉を介さずに、アゼムで直接語りかけて来る。それ故、言語化しづらい概念の伝達をするのを得意としていた。
 だが、全員が正確に受け取れるとは限らなかった。アゼムの取り扱いに個人差がある以上、万能ではない。そのためヴィオラスは、フローラベルに到達するまで各地を転々としていた。ヴィオラスの言うことを、他の街は理解できなかったのだ。エルドリンが他の人々と違う態度をとったから、フローラベルに来た。言ってしまえばそれだけだった。
「お前はお前のままに。どうして皆、そうでしかないことが分からぬのだろうな」
 エルドリンがした事は簡単な事だ。手足と同じ様にアゼムを使う天才に対し「こちらは歩み寄れ」という事はしなかった。「我々が理解できる様に説明しろ」とも言わなかった。ただ一つ、「お前を信じているから欲しい物を言え」と伝え続けたのだ。
「歳の離れた友、ヴィオラス。リアーゼは、お前の星となったか」
 一人、呟いただけの問いかけであったが、返事をするかの様に火柱が上がった。これがヴィオラスの圧倒的な殲滅の始まりだった。

 ゾルタックス帝国の価値観で言えば、《地獄絵図》と言うだろう。部隊の残りの兵士たちは恐怖で逃げ出すも、あの獣の前に逃げ場はない。
「ひぃぃ!」
 恐怖に染まった声が森の中で響く。先遣部隊に著しい連携のミスがあった訳では無い。ただ彼らにしてみれば、目の前の人物が情報とはまったく違う姿で現れたのが運の尽きだった。
「きこえ、聞こえる!」
 歌が聞こえる。詠唱は拡声器もないのに耳に入ってくる。これを聞いたがために部隊は脆くも崩れたのだ。兵士たちは恐慌状態に陥り、全く機能していない。
「うわああああ! 悪魔! 悪魔め!」
 先遣部隊の一人が半ば錯乱しながら、ヴィオラスへと突っ込む。
 ヴィオラスの身体を纏うアゼムの輝きは、星空を照らすほどの明るさを持っていた。行き過ぎた神々しさは、ただの人間にとっては怪物に見えるだろう。
「応答しろ! 隊列を崩すな!」
 かろうじて正気を保つ部隊の指揮官が指示を出し続けているが、機器の類は全て無効化されていると気づいていない。ヴィオラスの放つ圧倒的な存在感はアゼムに慣れていない人体はもちろん、セリュナにない異物の存在を一つも認めず、かき消していた。
「あくる朝、悲観なき夜まで。一つ瞬きを。苦は無し、木々のさざめきだけを……。テルモス・ヴィオラン!」
 狼狽える先遣部隊の中で、ヴィオラスの低い声と共に詠唱が紡がれる。彼の手の平から放たれるアゼムの光が、敵の列を一瞬で貫通した。着弾してから立ち上る火柱。驚愕と恐怖で動けなくなった兵士たちが次々と倒れていく。
「前進せよ!」
 と指揮官が叫んだが、その言葉は途中で途切れた。
「リスティア」
 ヴィオラスの次の詠唱により、彼の足元から伸びてきた蔦が指揮官を捕らえ、無力化する。その足元から青い炎が立ち上った。
「ぐ、お、おおおおぁ!」
 一部の兵士たちは、ヴィオラスに接近しようとしたが、彼の周りを飛び交うアゼムの光の矢が彼らを貫く。途中、彼の周りに形成されたアゼムのバリアは、敵の攻撃をすべて防いでしまった。
「化け物! 化け物!」
「……君たちが、指示を受けて動く者だと分かっている。そして、言語は違えど何を言っているのかも、想像がつく」
 ヴィオラスは烈しい怒りと深い悲しみを抱く。
「恐ろしいだろう。怖ろしいだろう。畏ろしいだろう。だから、私の手で、俺の手で、摘んでやろう」
 彼の普段の話し方を知っている者が周りにいれば、明らかに異なる姿に戸惑うことだろう。尊大で、傲慢さを覗かせて笑う。
「今だ!」
 部隊の中にいた数人の狙撃手たちがヴィオラスを狙って集中射撃を開始する。しかしヴィオラスの姿はそこには無かった。彼の姿を探そうと、狙撃手は音感装置でスキャンをかけるも、徒労に終わる。
「ヴァンダリス・フィリオ」
 ヴィオラスの驚異的な脚力により、狙撃手の目の前に迫る。スコープを覗いていた彼等からすれば、全くの想定外だ。ターゲットとしていた地点から、数kmは離れていたのにも関わらず、ターゲットが瞬時に、目前へ移動してくると誰が思うだろうか。
「ひ、」
 一瞬にして彼らは黙らせられた。

 短時間の内に、ゾルタックス帝国の先遣部隊は完全に壊滅した。残ったのは銃火器の放つ焦げ臭いと、咽せ返るほどの木々の命の匂い。ヴィオラスの焔はやがて静かに消えていった。

 ◆ ◆ ◆
 
 リアーゼは街の門の前で一人、周辺の戦況を追っていた。宝玉を通じて音声が届き、彼は脳内で同時並行的に戦術を練る。シオン、ヴィオラス、エルドリンが防衛ポイントで俯瞰して得た情報をリアーゼへと送り、ゾルタックス帝国の戦略や技術に詳しい彼が新たな作戦を追加で送る。リアーゼに指揮官を務めた経験は無かったが、ゾルタックス帝国と長年戦ってきた実績からこの役目を買って出た。
「皆、強いな、全く……」
 万が一、シールドの目前まで抜けていた敵を警戒し、ブラスターを握り直す。並列思考の負荷は高く、球のような汗をかいていた。リアーゼは肩で息をしながら、集められた情報を整理し、判断を連続して行っていく。
 シオンのところへ助力できるのはC地点から、ああヴィオラスはなんて強いんだろう、しかし単独での抑えは危険だ、エルドリンがフォローに回っている、…………しかし妙だ、部隊の練度が低い、まるで新兵に毛が生えた程度、作戦は頭に入っているのか? 帝国らしくない、ある程度動ける者もいるがどこか欠陥している? 装備は整っているのに……
 志願兵? それとも復帰兵? あるいは消耗兵……、それをわざわざ使う理由は?
「……囮か!」
 あえてセリュナ側に善戦させて拠点を取る事が作戦だとしたら。この上なく有効な作戦に思えてくる。リアーゼは瞬く間にあらゆる可能性を模索し、宝玉に向かって叫んだ。
「ヴィオラス! エルドリン! 上空に何かないか!」
「上空?」
 二人がすぐさま反応し、真上を見渡す。巨大な戦艦は不気味にその場から動かないままだったが、超小型の船艇が二隻、ぷかぷかと街に向かっていくのが見えた。
「エル、この場を頼む! 私はあの船、始末する」
「ヴィオラス! 無茶はするな!」
 ヴィオラスは美しく強化されたままの姿で現れ、すぐに駆け出していく。エルドリンの制止を無視し、街の方向へと向かう。
「リアーゼ、あの船、……。武装していないように見える」
「非武装船艇……?」
 その情報はリアーゼの脳内に一滴の雫を落とし、思考の波紋を呼ぶ。
 囮で数を投入し、火力のない小型船艇で、その上非武装だと? だとしたら何を狙う? あれは使者が乗っているのか? 否、順序が逆だ。
 ヴィオラスが街の門の前まで先回りする。シールドの前に立ち、リアーゼに背を見せる形で立ち塞がった。
「だが、落とせば怖いものはない」
 火力や装備を必要としない作戦行動。無人機? 破壊させる前提とするなら……
 もし、破壊して発火する罠だとすれば。
「ヴィオラス! 待て!」
 ヴィオラスから放たれた光の矢が船を貫く。あっけなく燃え落ちたが、複数の散布玉がばら撒かれた。それは空中で弾け飛び、毒の煙となってヴィオラスに降りかかる。
 空から降り注ぐ黒い煙。ヴィオラスはその煙を見上げ、直感的に危険を察知する。煙の中から漂う微細な粒子が、彼の感覚を一瞬で鈍らせていった。彼の瞳は驚きとともに、瞬く間に苦しみを映し始める。
「カハッ……!」
 息が、空気が、彼の喉を灼いている。吸えば吸うほど毒が回ってしまう。
「ヴィオラス!」
 明らかに強力な毒であることは明らかであった。リアーゼはヴィオラスの元に駆け寄ろうとして、しかし足を止める。ヴィオラスが、リアーゼに対して制止するよう手をかざしたからだ。
 リアーゼの脳内にピースがはまる音がした。
「くそっ、これが狙いか! ヴィオラス、街の中へ! シールド内ならばあるいは……!」
 ヴィオラスの息災がセリュナの今後を左右すると言っても過言ではない。毒の効果は即座に現れ、彼の体を襲い、喉を絞り上げるように痛みつけた。
「グ、ゥ……! この、煙め……!」
 ヴィオラスは自らの力を振り絞り、自身の周辺に風を巻き起こす。真上に伸びた旋風で毒は散っていく。アゼムによる強化を維持しながら喉を急ぎ回復させているが、堪えきれない呻き声と血が溢れる。
「来るな、リアー、ぜ……!」
 彼の目には燃え広がる激しい痛みと、しかしそれに立ち向かう決意が浮かんでいる。体内で毒との綱引きをしているのが伝わってくる。
「この、街。頼む、私は……!」
 彼は苦しみながらも笑みを浮かべ、言葉を紡ぎ出す。ヴィオラスの肌は蒼白となり、手の甲に浮く青い血管が生々しい。強張った手を伸ばす姿に、これから何が起こるかを理解した上で、思いを託すものだとリアーゼは悟る。
 激しい吐血。その瞬間、彼の強化が解け、街のシールドも弾ける様に消えた。
「ヴィオラス!」
 倒れ込む彼の身体を、リアーゼは滑り込むようにして受け止める。繰り返し彼の名を呼び続けるが、リアーゼの腕の中で、ヴィオラスの反応は鈍くなっていく。
 ついにゾルタックス帝国の部隊は撤退を開始した。街のシールドが外れたにも関わらず、街へ侵攻してこない。このことから、リアーゼの仮説は裏付けられてしまった。
 
 これがゾルタックス帝国の策略そものもなのだ。侵攻理由は敵性船団の追跡であるとし、キーマンのヴィオラスを無効化する……。そしてそのことは作戦外の不慮の事故であるとコンタクトを取ってくるだろう。その上で治療を申し出るだろう。交換条件としてリアーゼ自身の身柄を引き渡すことになる可能性が高い。何ならヴィオラスも治療する為に預かると言い出すだろう。その次に和平条約を持ちかけて締結し次第上陸。その後は……何かと理由を付けて実効支配に持ち込むのが目に見えている。
『僕の、せい……? 墜落地点のもっとも近いセリュナに落ちたと仮説を立てられた……? その上で偵察機の破損率が跳ね上がったことから……因果関係の推測と類推を……?』
 リアーゼは手持ちの救急キットでヴィオラスの無毒化を図りながら、己の存在が戦禍を招いた可能性に恐れを抱く。

 巨大な戦艦の影は未だ消えない。