孤立

 対話の同日、同時刻。
「……エルドリアン殿は、……対話はどうなっただろうか」
 リアーゼはエルドリアン邸宅から、別の滞在先へ移っていた。一見すると高級感あふれる邸宅であったが、近くに見るとその外壁には微かな亀裂や傷が見られる。遥か前に名家の滞在のために建てられたが、あまり使われていない建物らしかった。
 邸宅の周りは厳重な警戒体制になっている。守衛たちはその門や入り口に立ち、リアーゼの動向を監視している。彼らは厳格な顔つきで、彼の出入りを常にチェックしており、どこへ行くにも、守衛らの許可が必要だった。

 邸宅の中は静まりかえっており、活気や笑顔といったものはひとつもなかった。エルドリアンから派遣された使用人が何名か居たが、リアーゼの存在を避けるように行動していた。どのように接するべきか迷っているような雰囲気を、リアーゼは感じ取っていた。
 目が合ってもすぐに視線を逸らしてしまう。食事の席につくと、他の人々は一斉に席を立ってリアーゼを避ける。そうした行動の中で、リアーゼは深い孤立感を感じていた。
 かつて、フローラベルの人々と笑い合ったり、お互いの話を楽しんだりしていた日々。今ではその温かさは影を潜め、厳しい監視の中で過ごすほかなかった。彼は心の中で叫びたくなるような孤独を感じる。彼の部屋の窓からは、遠くの山や空が見える。墜落した地点の、美しい湖畔も見える。絵に描いたような美しい景色だが、彼にとっては遠いものとなっていった。
 「出自が不明なら、当然の反応だ。……尋問されることがないだけ、十分に配慮されている」
 リアーゼは深いため息をつきながら、室内の柔らかい光の中で、昼間でも光る星を見つめる。こうして星を見上げていられる。それは自身の身がまだ安全であることを指している。
 
 自分が置かれたこの状況の中で、どう生きていくべきかを考えていた。
「ヴィオラス……」
 リアーゼは彼の瞳の奥には、多くの想いが映し出されていた。
 彼がヴィオラスと初めて出会った時のこと、ぎこちないながら澄んだ瞳で見つめ合った瞬間、すぐに打ち解けて次第に互いの信頼を築き上げていった日々。ヴィオラスの知識と彼の戦術が補完し合い、二人で予想外の困難を乗り越えてきた事実。その瞬間瞬間が、彼の心の中で生き生きと蘇ってくる。
 だからこそ、目の前で血を吐いた姿が焼き付いて離れない。かつて共に戦い、散っていった仲間を思い出す。
「皆、……こんな時、どうする?」
 リアーゼが瞳を閉じると、次々と共に戦った仲間たちの顔が思い浮かぶ。彼らがリアーゼの記憶の中で鮮明に浮かび上がる。
『フン。取り乱すとは美しくない。冷静に当たれ。でなければ好転しない』――アザリアの冷静な声が聞こえる。彼の長い髪が煌めいて、暗闇の中でも美しい。
『また深く考え込んで。情報は集めた? 身動き取れない? ……それでも、窓から景色は眺めておきなよね。全部、大切な情報なんだから』――ヒルビアイスの明るくも落ち着いた意見。小柄な体を生かしてあらゆる景色を見にいっていたっけ。
『……いいか。慌てるな。無実を主張することも時にはリスクだ。協力者を大事にしろ』――クォンツァーの慎重な考え。それでいて一番、気持ちに寄り添うような声音。
『ひでえ目にあっても何とかなるって! 長い目で見とけ』――ユリヒコの楽天的な励まし。彼の言う「何とかなる」には、何度も救われてきた。
 彼らとの絆、一緒に過ごした時間、彼らの笑顔や涙、そして彼らが共有した喜びや悲しみ。それぞれの瞬間が、リアーゼの心を温かく照らし出す。
「……僕には、皆がついている」
 ゾルタックス帝国との因縁と、今までの任務。まだネブラス・コンヴォイへ持ち帰らねばならないこともある。セリュナやフローラベルで過ごして得たものこと自体、船団にとってはいい知らせなのだ。いつか、船団とこの街で友情を築けるかもしれない。広い宇宙でそいうった絆は、資源などよりも貴重なのだから。
 
 これまでの戦いで得た絆と、先が見えない未来で待ち受ける試練の気配が入り混じり、リアーゼの心は揺れ動いていた。彼の目はうつむき、その瞳には深い闇とわずかな光が交差する。彼は考えることはやめず、最適解を探し求め続けた。
 
 ◆

 対話の同日、同時刻。
 フローラベルの市場は、朝の光とともに、賑わいを見せていた。対話がある日だとしても、なるべく日常生活を崩さないと決めた人々は、いつも通りの時刻でいつも通りの行動をとっている。
 果物や野菜の露店が並び、交換するために新鮮な品を並べていた。子供たちは親の手を引いて、甘い香りのするパンやケーキを指差し、欲しそうにしている。それらはヴィオラスが考案したもので、リアーゼのライブラリから参照しアレンジしたものだった。中央の広場では、街の音楽家たちが、楽器を奏で、心地よいメロディーが広がっている。人々はなるべく不安を面に出さぬように努めていた。
 その明るい光景の中に、微かな暗雲が忍び寄ってきていた。ある男が、近くの露店でフルーツを手にとりながら、隣の男に小声で耳打ちする。
「お前、リアーゼのこと、知ってるか? ゾルタックス帝国にかつて所属してたらしいぞ」
 この噂話の口火を切ったのは、イクイノクスと共にこっそり降り立ったゾルタックス帝国の工作員だった。その言葉は、まるで感染する病のように市場の中で拡がっていった。
 露店の女性たちは、品物を選びながら、顔を近づけて確かめ合った。
「それって……この前の、イクイノスが言っていたことでしょう? 信じられないわ」
 魚を捌く老人は、魚の内臓を取りながら、隣の商人に話しかけた。
「リアーゼが持っていた武器が、ゾルタックス帝国の武器とそっくりだった。だが、本当に信じるか?」
 この噂の中には、真実か虚構かを問わず、人々の心に不安や疑惑の種をまく力があった。リアーゼに対する信頼や好意が、次第に揺らぎ始めた。彼を好意的に見ていた者も、心の奥底に疑問を抱き始める。そして、市場の広場の空気は、少しずつ変わり始めた。
 リアーゼという男の過去が全て語られた訳ではない。しかし、彼の真実を知る者は誰もいなかった。ゾルタックス帝国の策略によって、彼の名誉や信頼が、少しずつ崩れ去っていく。
「ならば、直接読み取ればいいじゃないか」
 もはや、そう言い出したのは誰だったかはわからない。ゾルタックス帝国に、ターゲットが考えていることを詳らかにする術は持たないが、フローラベルの中でアゼムに長けた物ならば、可能なことであった。
 
 フローラベルの街は、普段ならば子供たちの笑い声や市民の賑わいで溢れていた。しかし、リアーゼの噂によって急速に影を落とし、日常を脅かしていた。市場では、人々が囁き合い、リアーゼの過去やゾルタックス帝国との関係を議論していた。信じられない、と首を振る者、彼は最初から怪しいと疑念を抱く者。住人同士の意見もまるで割れていた。エルドリンは対話の真っ最中で家を空けている……ならば、確かめるのは早い方が良いのではないか、と言う考えも同時に広がっていく。

「アゼムの力を使って、リアーゼの心の中を読み取れば、すぐに真実がわかる。これは、彼の無実を証明するためでもある」
 彼を信じているからこそ、そうするべきだという人々が現れた。
「疑いの目を持って接するだけでなく、彼の心の中まで侵入するとは!」
「でも、これ以上、不信感を煽るわけにはいかない」
「我々の役目は、セリュナを守ることだ」
 噂は結論から逆算されていくように収束し、人々を煽り立てた。噂の火の粉は、もはやリアーゼ自身を焼いてしまうほどの熱量を持った炎となってしまった。

 ◆

  フローラベルの夜は静かで美しい。数多くの星々が天空を飾り、その中でも特に明るい月が、街の石畳や家々の屋根を銀色に照らしている。微かな風が通り抜ける度、木々の葉がささやくように音を立てる。
 だが、夜の静寂はリアーゼがいる部屋に詰めかけた人々の緊張によって打ち破られる。部屋の中央にはリアーゼが、四方から不信の目で見られている。その中にはフローラベルの戦士たちも含まれており、彼らの顔は重々しい。
 長身の兵士がリアーゼの前に進み出ると、部屋の空気はさらに凍りつく。
「リアーゼ、私はアゼムの力で君の過去を明らかにする。ここにいる全ての者に真実を知らせるためだ」
 リアーゼは住人たちの異様な雰囲気に呑まれそうになりながら、気丈に振る舞う。できるだけ刺激しないよう、落ち着いた声で話しかけた。
「待ってくれ。それは、……どういうことなんだ?」
「あなたの過ごしてきた今までを、この場にいる人、全てに公開する。生まれてきたところから、今日に至るまでの全てを」
 取り囲む不信感を募らせた眼光に、リアーゼは恐怖を覚える。尋問、あるいは拷問の類を宣言されたように聞こえたからだ。
「僕が、信じられないからか?」
「そうだ」
 間髪入れずに帰ってきた返答に、リアーゼは顔を上げる。伸びてきた手を咄嗟に避けるが、別の戦士に背後から締め上げられた。
「やめ、てくれ! 僕は、僕は!」
「辛いだろうが、お前のためでもある」
 リアーゼにとって、アゼムによる攻撃や力の行使をその身に受けるのは初めてだった。暮らしを便利にする力でもなく、サポートするためでもなく、刃を突き立てられるような恐怖が肌を撫ぜる。皮膚の内側に直接入り込んでくるような感覚が、鋭い痛みをともなって貫いてくる。反射的に身を捩じり、強く抵抗した。
「い、嫌だ、ああァ!」
 アゼムの力は部屋にいる者全てに彼の記憶を浮かび上がる。それを互いに確認した人々も、少しずつアゼムを流し込み、記憶の扉をこじ開けていく。
「あ、あああ、ああああ……!」
 焼き切れるような感覚。リアーゼの口からは声が溢れ、苦しみに悶える。――膨大な記憶が情報として、怒涛の勢いで遡っていく。

 ◇ ◇ ◇
 
 最初に映し出されるのは、ネブラス・コンヴォイの船内での日常だった。リアーゼの幼少期、仲間たちとともに食事をし、笑い合っている。
 以前、リアーゼが語っていた889番目の子供達だった。
『889世代はどうだ』
『誕生率は今までの平均値。生存率はやや良いですね。今の所50人……というところでしょう』
 大人たちの声がする。リアーゼを含む子供たちは全てガラス管の中で育まれた。全員が白銀色の頭髪をしている。遺伝子操作によって身体能力や学習能力の向上を加えられたパーフェクト・ベイビーであった。
『もっとも目覚ましいのはヒルビアイスでしょう。きっと、一番早く実戦へ投入可能です』
『そうか。楽しみだ』

 次に映し出されたのは、宇宙の戦場での悲劇だった。
 仲間たちが一人、また一人と命を落としていく。リアーゼは成長していた。十二歳ほどの見た目だった。
 落ち込むリアーゼに対し、仲間が励ましている。
『そんなに泣く暇があるなら、私の髪を梳かせ。手を動かせば心も落ち着く』
 アザリアの長い髪が美しく広がった。櫛を通すと、観測室で見た天の川に似て、キラキラと輝いていた。
『アザリアの髪は、綺麗だね』
『当然だ。美しいものは精神の安寧を与える。偉大なのだ』
 ありがとう、アザリア。
 そう言おうとした矢先、彼の顔が血に染まり、長い髪に炎が燃え移る。
『いいか、リアーゼ。美しいものは美しく散るのだ。だから、私が散るその瞬間を邪魔してくれるな!』
 見知らぬ宇宙空間、最後の通信。リアーゼは何度も、アザリアの名を呼んだが、返答は永遠になかった。彼が乗る戦闘機は、敵艦隊に突っ込んで燃えていった。

『泣かないで、リアーゼ』
 ヒルビアイスが手を差し伸べる。彼の部屋に招かれた日の出来事が映し出される。
『ああ、アザリアの櫛、折れちゃったんだね。じゃ、直そう! 大丈夫。リアーゼもできるよ』
 手取り足取り、物品制作の技術を教えてもらう。木工、金工、機器、……ヒルビアイスの手にかかれば生み出せないものはないとさえ思えた。
『見て、ヒルビアイス! 僕、初めてスキャナーが一人で作れたよ!』
『すごいじゃないか、リアーゼ! じゃあ、』
 ごう、と強い炎がヒルビアイスを包む。
『もう一人で、大丈夫だよね』
 腹から下が無くなったヒルビアイスは、自ら火の中へ這っていく。自分自身が得た知識を、脳を、記録媒体を、ゾルタックス帝国へ持ち帰らせないために。
『本当に、リアーゼは泣き虫なんだから』
 そう言って消し炭になった友の亡骸は、ひとかけらも回収できなかった。

『落ち着け! リアーゼ!』
 クォンツァーが、リアーゼを後ろから羽交締めにして止める。一発、頬に平手打ちをもらってようやく落ち着きを取り戻した。眠りながら叫び、飛び起きたらしかった。
『ごめん、クォンツァー。睡眠の邪魔をした……』
『馬鹿者。そうじゃないだろう』
 やや成長し、十六歳ごろの姿となったリアーゼとクォンツァーが映し出される。二人は同室となって寝食を共にしていた。
『いいか。叫んでも体力が失われるだけだ。そうならないように自己暗示をかけろ』
『自己暗示……?』
 彼はトレードマークのシン・イエローのマントを羽織り、管制室へとリアーゼを誘い出す。リアーゼは彼の後ろをついていき、監視当番の上の世代たちを眺めた。
『俺たちはいずれ、ここに座るんだ。前線にでて経験を積み、この母船を守らなければならない。そしていずれは、母星を取り返す』
 だからな、と振り返るクォンツァーは戦闘機に飲み込まれ、真っ暗闇な宇宙へと放り出された。
『だから、俺たちは何のためにどこへ行き、何を果たすかを唱えるんだ』
 勝つことが目的ではなく、母船を守るための囮作戦に、クォンツァーは志願の上で飛び立った。
『俺は戦う。君らの次の戦いのために。誰でもそうだから、あんまり泣くな』
 マントでカメラを隠したせいで、クォンツァーが散った日時は今でも分からないままだ。

『生存訓練、大変みたいだな!』
 俯いたリアーゼの頭上から、明るい声が降ってくる。
『いやぁ、リアーゼは頑張ってると思うぜ。俺は他の訓練、イマイチだからこんなこと言うのは変だけど』
『ユリヒコ……』
 青ざめた表情を取り繕う余裕がリアーゼにはなかった。生存訓練とは、死の瀬戸際となった実際の映像を元にしたシミュレーションであり、直面した危機を回避する訓練だ。
『あんまり思い詰めるなよ。生存訓練、そんなに嫌か?』
『……わからない。体が覚えてくれない感じで』
『じゃ、これだけ覚えておけ』
 隣に座り、リアーゼの肩を叩く。そこは壕の中。僅かな灯りの中に浮かび上がるユリヒコの姿に、リアーゼは飛び退いた。
『目を瞑るな、リアーゼ』
 ユリヒコの眼窩には何もない。ぽっかりと空いた空間だけ。宇宙の中、何も照らさないとこうなるのは知っている。
『怖くても、震えても、何があっても目を閉じるな。目を逸らすな。それだけを訓練すれば、案外何でもどうにかなるって!』
 ユリヒコが笑う。両目を失ったユリヒコが手を振る。
『こうなったら流石におしまいだからさ! あは、あははは! 参っちゃうよな! あははは!』 
 いつだって明るく、楽観的な彼が最後に見せたのは、自分自身を奮い立たせるために大声で笑う姿だった。
 敵の銃撃で穴だらけになったユリヒコは、笑みを浮かべて散っていった。

『本当にいいのか、リアーゼ』
『はい。決意しました』
 リアーゼは十八歳となった。精悍な顔つきとなり、幾多の修羅場をくぐり抜けた兵士としての姿がそこにあった。
『ゾルタックス帝国へ志願兵として入り込み、情報を集めます。そうすれば……次世代はもっと強くなる』
 すでに、889番目の世代はリアーゼだけとなった。こうなれば、次世代へ情報を繋ぐのがもっとも有効であると考えた末の決断だった。
 ゾルタックス帝国へのスパイとして潜り込むことは、言わずもがな危険なことであった。

 リアーゼは出自を偽り、ゾルタックス帝国の兵士となる。志願兵は常に受け入れられるが、厳しい身辺チェックと抜き打ち検査が定期的に行われていた。
 帝国の巨大な母艦の中で、初めは目立たぬように情報を集めていた。しかし優秀でなければ情報の質が上がらない。立場が強くなれば何度も疑われずに済む。そう考えたリアーゼはゾルタックス帝国内で頭角を表し、献身と貢献により次々と重要なポストについた。密かに帝国の情報を外部に漏らすための装置を持ち歩き、その際の緊張感は計り知れなかった。

 ある日、彼は帝国の高官、デズガル将軍との面会の場に呼ばれることとなった。豪華な部屋の中、リアーゼの前に立つ将軍は金髪に魅力的な眼光を持つ男だった。
『ほう、君が。優秀であると聞いているよ。リアーゼ・ネブラス』
 リアーゼは深く頭を下げる。心の中で湧き上がる屈辱。略奪した組織の中で、彼はこの場所に立たざるを得ないのだ。
『は、身に余る光栄であります』
『君は、今の帝国に関して何を急務と考える』
『無論、エネルギー問題であります。私に考えが』
 憎むべき敵の前で、彼は自分の真実の感情を隠して、帝国のための仕事をこなしていく。彼の目には疲れと哀しみが浮かんでいたが、彼の内側の炎は帝国に対する憎しみと復讐の思いでいつも燃えていた。将軍相手に熱弁を振るい、まさに帝国を憂う優れた若者。そうとしか見えないように振る舞うのは、復讐を第一目的とすれば辛抱できた。
『…………以上であります』
『ほう……。プロジェクトとして君に任せよう。人が必要なら私に要請しなさい』
『は、将軍の意を遂行します』
 技術は父で知識は母。リアーゼは決して目的を見失うことなく、帝国の中枢での役目を果たし続けた。
 リアーゼは寝る間を惜しんで巨大なエネルギー還元装置を構築する。有機体であれば何でも、即事、分解する代物だ。拷問によって死んだ捕虜。回復が見込めないと判断された病人。消耗兵としても限界が来ている兵士。それらを全て燃料とし艦が動く。
 母艦の中のエネルギーに還元する仕組み。命を還元させるという耳ざわりの良いシステム。これ以上効率的なシステムはないと思い込ませ、リアーゼはゾルタックス帝国を依存させた。
『素晴らしい。捕虜だけではなく消耗兵が最後の最後まで役立つ。死体は現場に捨ててきたが、回収する方がメリットが大きそうだ。この実績を持って、何か褒美をやろう。何が良い?』
『では、ひと月ほど休暇を』
『良いだろう。中央司令官のイクイノクスに話を通しておく』
 エネルギーシステムの設計者であり構築者として、すべての情報はリアーゼの頭の中に。それは帝国の息の根を止めるに等しい情報となった。
 
 ネブラス・コンヴォイへ還る。次なる任務はそれだった。還ろう、還ろう、自分の船団に。自分の仲間たちのもとに――

 奥底、今にも消えてしまいそうな光が漂う。

 僕が一番、経験を積んでいるのだ。生き残ったからには、生き延びなければ、生き抜かなければ――
 どうして、僕だけ生き残ってしまったの?
 もう誰もいない。889番目の子供達は、全員僕より年下になってしまった。 
 生き残ってしまった後悔。命を使い果たすための未来はどこに――……。

 ◇ ◇ ◇

「ひぐっ、うう、ううううぁぁ……!」
 リアーゼが子供のように泣きじゃくる。拘束されたまま床に倒れ込み、苦しみと悲しみに打ちひしがれている。
 記憶を引き摺り出されたことにより、現実に近しい苦しみをもう一度体感したのだ。それは今までの人生の中で分割した耐え難い悲痛を濃縮したことと同等であり、リアーゼは極大の喪失感と絶望感にのたうちまわった。
「みんな、ああ、ああぁ、待って……!」
 慌てて戦士たちが拘束とアゼムを解くが、リアーゼは未だ錯乱状態であった。アゼムを解いたことにより、急速に意識が遠ざかっているのだろう。消えていく友に追い縋るのは、ひどく哀れな姿であった。
「助けて、」
 リアーゼの悲痛な叫びの中、喘ぐようにして漏れた初めての懇願だと思えた。住人たちは罪悪感に見舞われる。しかしそれは、自身の救済を求める声ではなかった。
「ヴィオラスを、助けて……」
 部屋の中は、その光景を目の当たりにした人々の息が止まるような静けさとなった。凄惨な過去があったにもかかわらず、異星の友へ心を配っている。その姿に偽りなどあるわけがなく、人々はリアーゼにした仕打ちの残忍さに、取り返しがつかないことをしたと青ざめた。
 皆、リアーゼから一歩下がる。戦士はかける言葉が見つからず、リアーゼの体を寝床に移すことしか出来なかった。
「みんな、……」
 リアーゼの弱々しい声に耐えられなくなり、詰めかけた人々は足早に立ち去っていった。嗚咽をもらし、自分自身の過ちを後悔しながら……。

 ◆ ◆ ◆

 夜の帳がそろそろと上がりつつある時間、リアーゼの部屋は静寂に包まれていた。外からの微かな光が窓際に差し込み、壁のほのかな照明だけが部屋を優しく照らしていた。彼の呼吸が、締め切った部屋の中で、静かに繰り返される。
 部屋の隅には鏡台が置かれてあり、彼は眠ることなく、そこに腰掛けていた。彼の容姿を映す小さな鏡には、視線を落としたリアーゼの姿が捉えられていた。彼の瞳は涙で濁り、その赤みが一段と濃くなっていた。頬に残る涙の道筋が、彼の過去の痛みや苦しみの軌跡にも見える。
「…………」
 フローラベルの人々に記憶を暴かれたことに関して、リアーゼは屈辱や怒りといった感情は抱いていなかった。それよりも、深い喪失に苛まれていた。過去の痛みがじくじくと疼き、かつて失った仲間たちの面影がよみがえる。
 一つ一つの記憶が再び彼の心をかき乱す。心の中にいた友の顔が、死ぬ寸前の顔でしか思い出せなくなっている。その事実に耐えきれず、リアーゼは仲間と過ごした楽しい日々の表情を思い出そうとしていた。同時に浮かび上がるのは、自分自身の命の使い方であった。彼は鏡を見つめることによって、自身の中に渦巻く感情と向き合う他、なかったのだ。
「今の僕が、ヴィオラスにできることはない……。このフローラベルにとっても、今の僕は、状況を不利にさせる存在でしかない……」
 フローラベルでの日々は楽しかった。人生の中でこんなにも刺激的で文化的だった日々はなかった。しかし、自分がここにいる価値がもはや見出せない。それよりも戻らねばならないところがあるはずだ、と。
 ふと部屋を見渡す。部屋の入り口近く、小さな机の上に、フルーツを切ったものが置かれてた。……気づかぬ間に誰かが置いたのだろうか。そのうちの一つ、モリナを一口齧る。さっぱりとした甘さと共に、ヴィオラスと共にした軽食と会話の記憶が蘇る。
 
 ――技術は父で、知識は母。
 その教えを改めて咀嚼していった。リアーゼはゆっくりと深呼吸をし、静かに囁いた。
「皆の死を、無駄にはしないとも」
 仲間を死を二度と見つめたような悲しみは、心に深い傷として残った。しかし止まるわけにはいかないのだと、リアーゼは痛みを引きずりながら進むと決めた。

 涙を拭き取り、リアーゼは邸宅を出る準備に取り掛かる。早朝、守衛の姿はなかった。
 彼はヴィオラスの自宅へと立ち寄り、必要最低限の荷物をまとめる。フローラベルで着ていた衣服を脱ぎ、自身の宇宙服へと着替える。
 二人で過ごした楽しい日々が、あちこちに浮かび上がる。最後にヴィオラスの顔を見ていきたかったが、彼は治療のために別邸にいるため、叶うことはなかった。

 夜明けのフローラベルを後にする。足元の石畳の冷たさが彼の心をさらに冷やす。
 初めて訪れた時はとても温かだったことを思い出し、リアーゼの頬に再び涙が流れた。
「――、」
 彼は声もなく、息を漏らす。
 楽しい日々だった。ここでの記憶は、きっと生涯の宝になる。
 そう考えながら、墜落ポイントへと足を運ぶ。街の灯りが遠のく中、リアーゼは歩みを止めたり、振り返ったりすることはなかった。