6

 翌日の午前九時。すでに気温は三十度に達しそうな勢いで、酷暑日となりそうだった。制服の下に肌着を着るのがなんとなく面倒で、屋上も行くけどほとんど室内だろうし、と横着していくことにした。飲み物のほか、菓子パンの自販機が学校にあるので、今日一日分の食費として使えるだけの小銭を持って行く。
「おはよ、宇深」
「はよ」
 一緒に学校に行く約束をして、登校するのは何気に初めてな気がする。歩いてすぐとはいえ、いつもと違う道のりになりそうで浮かれてしまう。同じ部員で一緒に行くだけだが、思い描いていた学生生活っぽくてニヤけてしまうのだ。……向こうが恋愛感情かの区別がついていないにしろ、俺にとってはほとんど初めてと言っていいくらい、友好的な友達なのだから。
「適当に校内を回ってから屋上行こうかと思うけど、それでいい?」
「ん」
 短い返事は相変わらずで、宇深なりの、親密な相手だけにする癖みたいなものなのだろうと思えた。部室に立ち寄ったついでで、簡単に掃除をして、カメラを持った。
 校内で気になるところを撮影する。周辺を観察していると、意外な発見がある。窓サッシの錆がいい味を出していたり、吹き抜けになっている踊り場の光が、真夏でも柔らかい光に見えるように設計されていたり。そういった小さな発見も逃さないように、感覚で気になったところも、具体的に良いと思った場所や角度も、とにかくたくさんの枚数を撮っていくと決めていた。
 宇深は宇深で、教室のカーテンを太陽に透かせて、風でなびく瞬間を狙って連写していた。お互いに手伝えることをしながら、枚数を重ねていく。
 文化祭の活動をしなければ廃部になってしまうはずだから、夏休みが終わる前に何か展示できるものを手元に置いておきたい思いが湧いた。宇深とも少しずつ相談して決めていこう。
 
 正午を告げるチャイムが鳴った。夏休み中でも生徒の下校時刻は決まっているので、区切りのタイミングでチャイムが鳴るらしい。そろそろ昼にしようか、という流れになった。
 部室に置いてたカバンを持って、昇降口にある自販機でお茶とコーラ、ジャムパンを買う。そのままカバンへ雑に放り込んで、三年生の棟へと行こうとしたが、宇深に止められた。
「多分、向こうも開いてる」
「向こう?」
 宇深についていくと、そこは二年生の棟だった。職員室もあるので、忍び込むのにタイミングを見計らう。造りは三年生のところの屋上とほとんど一緒だったが、そこには貯水タンクがあるみたいだ。屋上の扉の上にもう一段高いところが作られてあって、そこに上がるための階段があった。こういうのって梯子がついてるだけなのに珍しい、と思う。宇深に手招きされるまま、階段下を覗き込むとしゃがんで休憩する分には良さそうなスペースがあった。さらりとした質感のコンクリートのためか、そこまで汚れていなかった。うってつけの場所に思えて、「めっちゃいい!」とはしゃいでしまった。
 外の解放感に、あつらえたような日陰。セミの鳴き声がする夏の日。カラッと晴れた青い空。そこで友達と昼食……。一人胸がジーンとする思いをしていたら、宇深に変な顔をされた。
「これ、千芳の分」
「えっ!」
 宇深の手には、サンドイッチがあった。またキッチンを借りて作ったのだという。作るのは一人も二人も大して変わらないから、と言われて受け取ってしまった。
「いくら何でも、少なすぎ」
 ジャムパンと適当な飲み物で済まそうとしていることを言われているみたいだった。まさか宇深に心配されるとは思ってもおらず、気恥ずかしくなってしまう。
「金が入るまでは節約したいし……」
 口では遠慮がちにしつつ、食事を適当にしていることに言い訳をしつつ、お手製サンドイッチをありがたく頂く。パンが分厚くて、ちょっとテンションが上がった。ハムレタス、ツナマヨ、たまごサンドの三種類。まずは、とハムレタスに手を伸ばした。レタスはシャキシャキだしハムが美味しい。少し胡椒が振ってあって、アクセントが効いている。シンプルなレシピだけど、王道の味で口の中が幸せになる。
「美味っ……。ありがとね」
「ん」
 二人で同じものを食べていると思うとまた嬉しくなる。寮では同じメニューを食べているから、毎日同じものは食べているのは同じなのに、宇深のお手製を一緒に食べていること自体が何か特別に思えた。全種類を食べる頃には『しっかり食べた』感があって、最高だった。
 飯をもらうだけでは悪いなと考え、まだ開けてない飲み物を渡そうと思いついた。
「宇深、これ」
 コーラ好きかわからないけど。貰いっぱなしなのも悪いしさ。そんな風に言いながら、普通に渡したつもりだった。ここまでの流れで、不穏なことなんて一つもなかった。
 宇深はそれを受け取ってすぐに開けて……何を思ったのか、俺の頭にぶっかけた。
 突然のことで声が出ない。何か、怒らせた? 何か調子に乗った?
「なん、」
 あっけに取られていると、宇深は俺に覆い被さって、こめかみあたりに吸い付いた。
「ひ、……っ!」
 あの日に行われた暴虐を思い出して身体が震える。腕を突っ張って距離を取ろうとしたが、耳元で淡々と囁いた。
「大丈夫。お前が好きなこと、するから」
「ぎゃあ!」
 襟首にペットボトルを差し込まれて、余っていた中身が全て服の中に注がれた。下着ごとずぶ濡れになって、「もったいないだろ!」「何てことするんだ!」と喚いた。俺の! なけなしの! 食費! と怒ったが、宇深はそんなことを考えている顔ではなかった。
「あっ……!」
 ジュルッと音を立てて耳の外側を舐めていく。耳の輪郭から唇だけで挟んで食むようにしたかと思うと、耳たぶを舌先でくすぐっていく。気付けばコーラまみれになったシャツのボタンが中途半端に外されていき、思うように身動きがとれなくなっていた。
「耳、やだ……っ! 舐めるなよ……っ」
 耳の穴に舌先を出し入れされて、いやらしい水音が頭いっぱいに響く。抵抗しようとしたが、ボタンが千切れるのを恐れて、ただ藻掻くだけになる。どっちにしてもコーラまみれになっているのだから、シミなんか落ちないから捨てる羽目になるというのに。ボタンが弾け飛ぶのを躊躇ってしまうなんて、混乱している証拠だった。
「ほんと、なんで、なんでこんなことッ……!」
 返事の代わりとばかりにフウッと息を吹きかけられて、甲高い声が出る。身体が跳ねるのはどういう理由なんだろう。性感に対して簡単に反応してしまっているだけ? いじめに逆戻りするかもしれない恐怖? 過剰に反応してしまうのは、一体何のせい?
「ぁ、あああっ、……!」
 頭からかけられたコーラを舐め取るみたいに、反対側の耳にも舌が這う。
 ここに来て、《今日のミッション》を課せられたりするんだろうか。恋愛感情か分からないとか、この前のdは行き過ぎていたって誤ってくれたこととか、そういうのは嘘だったんだろうか。それを鵜呑みにしてしまった俺が情けない。でも、もしかしたら、少しでも友達みたいに思ってくれるんじゃないだろうか。馬鹿みたいに、都合よく期待してしまう自分が嫌いになりそうだった。
「やだって、ばぁ! やだ!」
 昨日はすぐに止めてくれたのに、どうして? 抵抗すればするほど、拘束が強くなっていく。半ば押さえつけるようにして、俺の首に歯を立てながら吸い上げていった。強めに吸われて、ジュ、ジュ、と焼き印を入れていくような音がする。瞬間的に刺すような痛みが走って、脚をバタバタとさせた。何度呼びかけても、宇深は俺を無視する。
「っひぁ!」
 男の胸なんて、吸っても何もないはずなのに。シャツの上から突起を口に含んで舐られる。小さいアメを唇の先で転がすみたいに……、シャツに染み込んだコーラと一緒に吸い上げられた。ざらりとした服の感触と、温かい宇深の舌の温度をダイレクトに感じてしまう。
「い、ぁあ、ああぁっ! 何で、なんでぇ……!?」
 ビリビリした刺激が腰に響く。電気が流れたみたいで、脚がぴんと張る。抵抗のために身体を丸めていたのに、たったそれだけで大きく反った。
「は、ァ! あっ、あぅ、ああぁっ、……!」
 反ると必然、こちらに胸を突き出す形となり、更に強い刺激を拾ってしまう。自分の中心に熱が集まってしまっているのも分かっていた。嫌なはずはのに。宇深の意味が分からない行動に振り回されているはずなのに。気付かれないようにと息を詰まらせる。
「ふ、ぅう……!」
 快楽を逃がそうとしたが腰をしっかりと掴まれていて、敵わない。唇を噛んで耐えようとしても、より強い刺激を与えられると自分の声とは思えないものが漏れていった。宇深はずっと何も言わず、シャツの上から吸ったり、ボタンとボタンの間から舌を差し入れたりして、俺の素肌をぺろぺろと舐めていく。
「あ、あぁ……! なんれ、……!」
 エスカレートしていく。どんどん下に降りていって、臍に行き、鼠径部を沿い、しっかりと膨らんだ俺のテントまで到達した。宇深は俺のスラックスを寛がせて、芯へと手を伸ばす。コーラのせいで下着が濡れている、と言い訳にできないくらい、グジュ、といやらしい水音が鳴った。先走りが全部その中に混ざっているんだと、余計に実感してしまう。
「ッ! ひ、いぁっ!」
 あの日が蘇る。こいつの手で、恥辱にまみれたあの日が……!
「ぅああ、ああぁ! ぃあ、いやああぁ!」
 本当に嫌なはずなのに。胸を舐られながら芯を扱かれて、ぼうっとしてしまう。宇深の頭を退かそうとしても、結局は奴の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜるだけになっている。
「あっ、ああぁっ! ん、ぁ、ああぁ……っ!」
 いやらしい音はどんどん激しくなっていく。一定のリズムで性急に与えられる刺激に頭も感覚も麻痺してしまう。自分から胸を押し付けるようにして身体が反って、舐られている刺激が腰に響く。中から熱せられるような感覚と、芯に直接与えられる刺激が、布ズレと水音に混ざって鼓膜に突き刺さる。
「やだっ、い、イキたくない、いやぁ! ぇあっ、あぁっ、う、ううう……!」
 無理矢理押し上げられるようにして、俺は奴の手の中に熱を放った。夏休み前に、旧校舎裏まで強制的に走らされた時を思い出してしまう、その時よりも……激しく息切れしていた。
「見て」
 ようやく、宇深が口を開いた。俺は何を言われても、裏切られたような気持ちをなるべく感じないように、傷つかないようにしようと思っていた。だが当の本人は、やっと本当にしたかったことができるとでも言いたげに、嬉々とした空気を醸し出していた。
 吐き出した俺の精液が、手のひらに載っている。宇深は、ずっと待ちわびていたような表情でそれを舌先で掬った。舌の上に載っている様子を「んべぇ」と見せつける。
「お前、まさか……!」
 俺が全部言い切る前に、宇深はオーバーな仕草でそれを噛み、喉を鳴らして飲み込んでいった。
「……甘」
「ッ……!」
 そう呟かれて、全身が沸騰しそうになる。そのまま、手のひらにある精液を全て口に含んで、同様に噛んでから飲み干した。手のひらにへばり付いていたものも、丁寧に舐め取っていく。宇深は、熱っぽい息をひとつ吐いて見下ろす。性欲からくる雄の臭いをさせながら、同時に新しいおやつを真剣に選ぶみたいな表情で、乱れきった俺を見て笑った。
「好きなんだろ、食われるの」
 その一言で、言いようのない感覚が背中を走り抜けていった。寒気にも似た感動かもしれない。次なる快楽かもしれない。あるいは、看破された恐怖かもしれない……。
「なん、で……」
 喉の奥で笑ったような音がする。空気だけを引っ掛けて、不器用に笑いが漏れたような音だった。
 
 そんな顔してたら、分かるって。

 そう目だけで語る。笑みを深めて、宇深は再び、俺の全身に舌を這わせた。
 部屋の中で首筋を舐められて時は、はっきり言って気持ち悪かったのに。今はどうしようもなく興奮していて、もっと、ジュルジュルと下品な音を立てて啜って欲しいと思ってしまう。
 俺の中に、「なんで」「どうして」ばかりが渦巻いていたのを忘れてしまっていた。俺の中に、甘味という新しい側面があるということを得た。それなら、味が分かる人に全部を味わって欲しい。コーラでも、ソーダでも、甘みが増すなら悦んで……。

 ずっと聞こえていなかった外の音や見えなくなっていた空の色が、急に視界に入ってきた。セミの声も、途切れた雲が広がる空も。青春のひとときだったはずのもの。
 俺は反射的に宇深の頭をひっぱたく。宇深は、突然のことに目を白黒させていた。普段あまり見ない表情で、ほんの少しだけやり返せた気分になる。
「……俺、部活しにきた。食事、終わり。午後は帰る」
 片言になりながらそう言うと、宇深はとんでもなく大笑いして、カバンから着替えの代わりになりそうなTシャツとジーンズを渡してきた。用意が良すぎない? と文句を言うと、今日の校内撮影で使いたかったから、と言ってきた。
 
 歪なまま、取り返しが付かない関係のまま、俺と宇深はようやく友達になれた気がした。後少しで簡単に、踏み込みそうになる危うい領域を感じ取りながら。