山彦 前編

 『母さん』と表示された画面に少し躊躇って、通話ボタンをタップする。

 連絡してきた内容はどうと言うほどのことでは無かった。伯父さんの部下が下宿しに来たらしく、あんたの部屋だったところを使うからね、というものだ。部屋は余っているし、伯父さんの部下なら身元も明らかだし、二つ返事で引き受けたみたいだ。
 テレワークってこんな感じなのね、とどこか嬉しそうに語る母に少し苦笑いする。最近は上手くやってるの、いい男見つけた? なんて聞かれて。ほどほどに喋って通話を切った。
 元々小うるさい事を言われる仲ではない。心の片隅に引っかかってしまった出来事のせいで、田舎のことは少し距離を置きたい気持ちがあるだけ。

 テレワーク、できる職種だったらよかったんだけどね。今度の夏にはなるべく帰るようにするよ。
 メッセージを送り、店をオープンさせた。

 大学入学を機に上京して、そのまま東京に居付き、店を持ってもうすぐ五年。いわゆるゲイバーに分類されるけど、幅広いお客さんがくる。様々な性別の人が来る、と言い換えても良い。薄暗すぎない雰囲気、北欧風な白い壁には常連が旅行の度に買ってくるペナントをウォールアートとして飾り、酒の質もできる限りでこだわって。新しいお客さんも入ってくるし、よっぽど無茶をしない限りは、だいぶ軌道に乗ったと言える。

 常連客に始まり、カップルが来たり、仕事休みのお水の子が来たり。喋ってばかりの夜はすぐに更けて、終電を見送った客達と一緒になって、酒を煽る。
 いつもは下劣な話ばかりなのに、今日に限って初恋の話で盛り上がっていた。
「同級生の子!」「僕は野球クラブで一緒だった子」「電車で見かけた他校の先輩……♡」
 それぞれ面白おかしく話すことに慣れているから、どの話も涙が出るくらい笑った。それと同時に、本当に出会いはどこにでもあるし、人が人を好きになるきっかけはバラエティーに富んでいるなと思う。
「てんちょーは?」
 お鉢が回ってきた。皆みたいに面白い話じゃないよ、と言いながらマドラーを無意味に回す。
 母さんの声を聞いたからかもしれない。普段ならはぐらかしてもいいような内容だけど、脳裏に儚い笑顔を浮かべる彼が過ぎる。
「地元の子」
 何でもないように答える。嘘じゃない。でも妙な存在だった。未熟な俺は、都合の悪いことは見て見ぬ振りして、その上都合良く突き放した。
 罪悪感が後押しして、……口が回る。
「ちょっとね、変な子だった。でも両思いだったよ」
「エッ、すごいじゃん! 羨ましい〜!」
「初めて聞いたよ、そんな話」
「そりゃ、話したことないからね」
 続きを急かられても普段なら言うわけないのに。一度話し出したら輪郭がどんどんハッキリしていく。

 ◆

 うちの地元ってね、人は少ないんだけど、まぁパワースポットみたいなところでさ。昔はそこそこ観光客も居たんだよ。今は大分さびれちゃったけど。

 今振り返れば良いところだったって言える。けど子供にとってはめちゃくちゃ退屈で。ゲームなんかも家にはなくてさ。店も土産屋ばっかりで日用品買えるところが酒屋さんしかないくらいの田舎。
 移動式の販売店が来てたから食品とか季節ものはそこで買って。いや、もうほんとに何もないの。ショッピングモールだとか、ファストフード店もコンビニにも車が無いと行けないくらい。
 ケータイ買ったのも、大学行くために上京するのに合わせたくらいで、本当に娯楽なんてなかった。

 その子と会ったのは……、八才くらいだったかな。とにかく暇で暇で。兄貴が二人居たんだけど、その日は自転車で二人乗りして弟の俺は置き去りでさ。割と一緒に遊ぶこともあったけど、その日は間違いなく一人だった。
 え? どんな子供だったかって……。山駆け回って大声出して虫捕りして、典型的な田舎のハナタレ小僧だったよ。マジのマジ。

 その時はやまびこで遊んでた。ヤッホーって言ったら、ちょっと経ってヤッホーって返ってくる。そのうち元気ですかー? とか、なーにー! とか、特に意味のない言葉で遊んでたのね。
 なんとなく徐々に返ってくる感覚が早くなってる気がしてきて、居るわけないと分かってても、本当に向こう側から言葉を返してくれてるように錯覚してさ。
 それでね、友達になりませんかー!って言ったら、すぐ横から友達になりませんか、って返ってきたんだよ。
 もうびっくりして。真横を見たら、見たことない同い年くらいの子がニコニコ立ってるの。ホラーかと思った。怖かったんだけどね、一瞬で引っ込んだ。
 もう、その子がすっっ……ごくかっこよくて! 面長で、色素が薄くて、優しい感じの子だった。……面食いなんだよ、仕方ないでしょ? まぁ、自分がゲイだって気づいたのもその子が居たからなんだけど、一旦横に置いといて。
 こんなかっこいい子が友達に? って思ったら嬉しくって。やったぁ! いいの? って言ったら、やったぁ、って返してきて。その時点でちょっと「あれ?」と思ったし、しばらく会話してるうちに確信に変わっていった。

 「何して遊ぶ?」と言ったら「遊ぶ」と返答される。
 「名前は?」と聞けば「名前は?」と返ってくる。
 最初ふざけてるのかと思ったけど、本人は何か困ったような顔をしていたんだ。どうも、直前に話された言葉を繰り返すしかできないみたいだ、って気付いた。だからなるべく多めの単語で話しかけてみたら、だんだんコミュニケーションが取れるようになっていったんだ。
「オレ、坂の下にある家に住んでる。お前の住んでるところは? そこから近い? 遠い?」 みたいな感じで。そしたら「遠い」とだけ返ってくる。
「オレ、カレーが好きなんだ。辛いのが好き。甘いのも好き。知らない味も食べるのも好き。あっ、お前は飴好き?」とか割と支離滅裂なこと言っても、「カレー、知らない。飴……は、好き。甘いのも」っていう具合に、単語を拾う幅さえ持てば結構お互いにおしゃべりだったかも知れないな。
 まぁ、とにかく。
 なんとなく、そういう病気の子で、俺以外に友達が居ないのかもって思ったんだ。でもすっごく楽しかった。
 今でも覚えてる。グミの木のところに連れて行ってくれたり。笹の葉で船作って競争させたり、草笛鳴らして遊んでみたり。

 そうこうして小学生の時はずっと一緒に居た。時々家に呼んだりして、兄貴たちとも一緒に遊んだりするくらい仲良くなって。ご飯も食べたりしたくらい、家族とも馴染んでさ。
 だから、なのかな。友達はその子しか居なかったし、その子しか考えられない世界だった。

 ……友達としてじゃなく、彼氏にしたいくらい、もう好きで好きで仕方なくなって。十三の時に告白した。
 俺はお前のこと、恋愛の対象として好き。お前は? 友達として好き? それとも今ので嫌いになった? って。

 そしたらね、「恋愛……として、好き」って。恥ずかしそうに笑ってくれたんだ。

 ◆

 酒焼けしている上に野太いけど、黄色い声が上がった。甘酸っぱい話だと我ながら思う。
「それで、それでどうなったの!?」
「初体験もまさかその子なわけ!?」
 オカマバーに勤めるキャストの子が増えて、ギャアギャアと盛り上がる。
「想像に任せるよ」
「絶対いやらしいことしてるわ! アタシには分かる!」
 キスもした。それ以上のこともした。
 好き、と目一杯言って、その分だけ返してもらって、こちらが好きと言わずとも向こうも「好き」を表してくれた。
 寒い冬の日、互いに鼻を寄せて笑い合った日もある。
 夏空の下、何度も名前を呼び合ったこともある。
 四季の中で、移りゆく山の景色を見ながら。俺の部屋で宿題してるのをニコニコと眺める彼に照れながら。
 俺の家で食べるカレーが、すっかり好物になった彼の眩しい笑顔に目を細めながら……。

 最後に見た顔が、──ひどく傷つけた顔が、ジリジリと浮かび上がる。ずいぶんと長い間、忘れかけていたのに。

「ちょっと! まだ話は終わってないわよ!」
「イケメンって言ったわね? 誰似? 誰似なの!?」
 ハイハイ、もう良いでしょ。そう言って話を切り上げた。

 ◆

 砂利まじりの道路を歩く、俺の靴先を見た。
 地元の、一番近いバス停へ向かう途中だ。景色に見覚えがあるが、やたらと色褪せている。まだ寒さが残っていて、俺達は無言で歩いていた。ガラガラと引くキャリーケースと、親父から借りたボストンバッグ。車で駅まで送って貰えば良いのに、わざわざバスを使ったのは、最後に話したかったから。

 ああ、夢だなと思う。

 歩みを止めて、黙って隣を歩く彼と向き合う。俺よりも十センチは大きいから、必然見上げる形となる。儚げな瞳の中に俺がいる。視線が強く絡まったまま、俺は彼に縋り付いた。
「嫌い、嫌いだ。だからお前も、嫌いって言ってよ」
 何度もお願いした。子供っぽい辻褄合わせ。当分帰って来れないだろう。何となく、俺が彼のそばにいなければ、彼は死んでしまうような気がしていた。
 きっと、彼は人間じゃない。相手の言ったことしか返せないのは病気ではなく、山彦だから……。呼び掛ける人がいなければ、返せる言葉もなく、きっと姿も保てなくなる……。
「き、らい……嫌い……」
 左右に首を振りながら、涙を溜めてそう言う。別れる寸前まで、結局、向こうから突き放してはくれなかった。
 互いに泣き濡れて、しばらくしてキスされた。息を吹き込まれて、……意識が遠ざかる。
「ッ、……う、ううぅ」
 何か言おうとして呻く姿。無理に言葉を紡ごうとして口を動かしている。痛ましくて、申し訳なくて、死にそうなくらい愛おしくて、ぐちゃぐちゃになる。

 高いところから落ちたように身体が竦んで目が覚める。
 自宅のベッドの上。見慣れた木目の天井に手を伸ばす。手元にあった夢の中の温もりは、たやすく残骸となっていき、穏やかに、緩やかに輪郭を無くす。

 店であんな話、したからだ。
 今では砂利のない舗装された道路を難なく歩いて、働いて。好きな事をして、正直になって、生きるために……。

 本当に?

 上京して、こっちの大学に行くと決めてからはトントン拍子だった。大学で学びながら店を持ちたいと思うようになって、勉強して、お金を貯めて、……。
 トントン拍子なんかじゃない。ただ、あの子のことを傷つけた自分を忘れようとしただけ。忙しさで目の前を埋め尽くしただけ。

 あんな風に追い縋って、俺は……。
 あの子のこと、なんて呼んでたっけ?

 ◆

 店長の初恋話、というのが常連の間でちょっとした話題になってしまった。秘密主義という訳ではないにしろ、あまり過去を語ってこなかったから、新鮮に感じられるのかもしれない。
「もう一回聞きたいなぁ」
「そんなに面白くないって」
 一人で来た常連がぼやくので、苦笑いを溢した。おそらく同世代の、中肉中背であまり派手な感じのしない男。よく言えば誠実そう、悪く言えば退屈そうな雰囲気。
 こういったバーで一人で来る場合は、相手を探しに来るか、純粋に静かに呑むか、俺とおしゃべり目的で来るかのいずれかだ。
 この界隈や職業だから、と言うのは乱暴だけど、客から好意を寄せられることはままある。恐らくこの常連もそうで、じっとこちらを見つめてくる瞳の色に、『明日には告白してきそう』と思っていた。
「僕と付き合って欲しい」
「あらら」
 三杯目のお酒を渡したタイミング。俺にしか聞こえない声の大きさで、ほんの一瞬、手と手が触れ合う。思っていたより早い告白で、俺は間抜けな返事をしてしまった。
「んん、無理かな」
「少しは考えてよ」
 間髪入れず答えた俺に、食い気味に返してくる。店内を照らす仄灯りが手伝って、言葉を滑らかにさせる。
 考えてるよ、というか決めてるの。と苦笑いを更に深くする。
「お客さんとは付き合わないってルールにしてるから」
「今すぐじゃなくて良い。待ちたいから」
 返事は待つから、と言われても。今のを返事として受け取って欲しいのに。彼は常連ではあるし、良識的ではあるほうだけど、客と店長という線を越えようとしてくる人は苦手だ。
 言葉を濁して居ると、彼は「ふざけてないし本気だよ」と言い残して会計を済ませて行った。
「……はぁ」
 他の客も居るというのに、溜息を吐いた。何もかも投げ捨てて考えて良いなら、正直言って面倒くさい。はっきり言うなら好みでは無い。俺は面食いだし、スラリとしたタイプが好きだし、あの子みたいな人がドンピシャな訳で。
 ……逆だな。あの子しか、今でも好きじゃ無いんだ。
「てーんちょ! 遊びきたよー!」
 騒がしい二人組がやって来て、俺は意識してパッと笑顔を浮かべた。いつもの席が空いてるのを見て、勝手知ったる様子で座っていく。
 切り替えないとな。そう思いながら、おしぼりを渡すと、にやにやと悪どい顔をしていた。
「ね、さっきさぁ。ここの常連さんの……ほら、ちょっとポヨッとした感じの。その人とすれ違ったんだけどさ。なんか、てんちょーガチ恋宣言されたんだけど」
 ゆるい口からゆるい言葉が漏れた。ただ、内容が全くゆる可愛いくない。
 えっ、と声を上げる間もなく、二人は楽しそうにする。楽しそうというか……格好の娯楽が見つかったような。
「てんちょーガチ恋勢、出たのいつぶり? あれ相当本気じゃん?」
「オレらにまで牽制しなくていいっつーのに、ねぇー」
 笑顔が引き攣りそうになるのを堪えて、わざと煙たそうに手を振る。牽制するというか、これは外堀を埋めているのだろう。他人を巻き込むタイプだったかと嫌気が差す。が、これも客商売。
「あの人ね、悪い人じゃないって分かってるんだけど……。付き合ったら束縛しそうな気がして。別のお客さんに牽制してる時点で、『僕みたいなガチ恋がいるかもしれないから店閉じて』とか言い出しそうで、ちょっとね……」
「いや一理ある〜」
「てんちょーまじ、てんちょー」
 店の雰囲気を悪くしそうな人に対して、常連同士で戦われるのも面倒だし、やんわり、でもしっかりと周辺には可能性がゼロだということを示さないといけない。その甲斐あってか、それ以降、二人からは俺の色恋ネタを消費することはなかった。
 それよりは、二人の惚気話を聞かされる番になる。ゲイ風俗に勤める二人は、珍しいことに同じ店に所属していながら付き合っている。後から入ってきた一見さんも話の輪に加わって、話に花が咲く。
 仕事の話の流れから、仕事中に客に対してヤキモチを妬くかどうかという質問をされていた。
「ん〜。仕事だしね。それになんていうかね。お互いがお互いの宝物だったら全然問題ないっていうか」
「ダメなとこも、それ含めて良いなって思えたら良いじゃんね」
 ね、と二人で顔を見合わせて笑うので、気が抜ける。笑いが鼻から出ていった。
 ゆるふわな若い子同士のカップルだけど、芯の部分で愛し合っている。話を聞いていた一見さんは「羨ましい限り」と言って、彼ら分の会計を済ませていった。
「す、素敵!」
「待って! サービスするから待って!」
 ゆるふわすぎない? と口を挟んでしまったけど、二人はそのお客さんと一緒に店を後にしていった。騒がしかった店内が急に静かになって、客もあと二組。あと少ししたら移動しそうな雰囲気だ。
 少し早いけどクローズ作業に移ってしまおう、と扉にかかっている札を裏返した。

 最後のお客さんを見送って、作業をしながら今日あったことを振り返る。俺はとある存在を思い出した。その存在が気になって、いつもより早く手が進む。
 結局小走りで帰宅し、真っ先にクローゼットを開ける。日頃から整頓していたから、どこにしまってあるかは覚えている。
「……あった」
 クッキー缶に詰め込んだ、子供の頃の宝物入れ。蓋を開ければキーホルダー、シール、おまけ雑貨が顔を覗く。娯楽が少なかった地元で、思い出深いワクワクとしたもの……。俺にとっての宝物は、奥底にしまったままだった。
 雑多なものに混ざって、親指の爪ほどの大きさの、緑で透明な石がキラキラと光る。
『なぁに、これ。宝石? 綺麗だね』
『ん……綺麗、宝石』
 俺の手の中に握らせて、そっと手を重ねてくれた。少しひんやりしていたっけ。
『えっ、もしかして、くれるの? あ……。貰っていいの?』
『貰って』
 力強く頷いて、ピカピカの石と同じくらい輝く笑顔を向けてくれた。
 あの子からもらった、形に残る唯一のもの。
 手に取ると、あの子の手のひらと同じようにひんやりとする。

 会いたい。
 でも、きっともう遅い。

 ◆