怪人赤マント 前編

 かんなさま、というのが自分の名前だと思っていました。屋敷の者は、僕のことをそう呼んでいたから。
 悪さをすれば暗くて怖い座敷牢へ。僕が何かオイタをすれば、お祖父様が平たい鞭で僕をぶつ。あれは躾ではなく折檻だったとわかったのは、ずうっと後。
 おもては座敷牢よりもっと怖い。そう教えられて、多くの疑問は持たず、ただ息をする塊だった僕。綺麗で派手な着物を着せられて、色々な人が飾り牢屋の格子ごしに頭を垂れていました。
「かんなさま、今年織りあがった反物にございます」
「どうぞ、来年もご贔屓に」
「さ、かんなさま。皆に呼びかけてやってくださいまし」
 僕の役目は、目の前に来た人たちを褒めるときは「よい」「ごくろう」と言い、何か謝りに来ている時は「さじである」「さたをまて」と言うことでした。三つの時から、七つになる前まで続けられました。
 祭の日は牢屋と神輿が一緒にあった物に担がれて、僕はいつも以上に息をする塊に徹しました。お祖父様から「誰に何を言われても反応するな。何を見ても顔を動かすな」と厳しく言われていたため、祭は自分に課せられた苦行だと思っていたのです。
 
 僕には分かりませんでした。
 村の皆の汗も、大きく焚かれた火の高さも。祭の目的や、僕自身の事さえも。

 今では、皆は僕のことをこう呼ぶのです。
 怪人赤マント、と。
 
 ◆

 夏の始まりごろ、月明かりが朧げな夜でした。この日は遅くに、湯浴みすることになったのです。お祖父様を怒らせてしまい、鞭でめちゃくちゃに打たれた後でした。
 湯浴みは屋敷の者が全て行ってくれていましたので、僕はただされるままに身を預けるだけでした。
「……ッ」
 背中に出来た傷が湯に染みてしまい、身動ぎしてしまいました。ああ、またお祖父様に怒られてしまう。お祖父様に代わって屋敷の者が叱ることも儘ありましたので、きっと何か注意されるだろうと思っていたのです。
 しかし叱りの言葉はなく、何故か手伝いの者は泣き出してしまいました。
「かんなさま、痛くはないですか、辛くはないですか」
 屋敷の者が、というより、他の人間が涙をこぼして苦しそうにするのを初めて見たもので、その時の僕は狼狽えてしまいました。
「さじである」
 僕が知っている言葉は少なくて、そう言えば飾り牢屋に居る時みたく、相手が笑うと思いましたが逆効果でした。手伝いのものはシクシクと泣き始め、なるべく弱い力で背中を拭いてくれました。
「かんなさま、お幾つになられましたか」
「ふた月後に、数えで七つになる」
 皆が知っていることなのに、わざわざそう尋ねる意味が分からなかったのですが、僕は聞かれるまま答えました。
「かんなさま、おもてで今、恐ろしい事件が起きているのをご存知ですか」
 またも、何故そのような話をされるのかが分からなかったのですが、
「知らぬ」
 とだけ答えました。
「お話し申し上げても」
「申してみよ」
 手伝いの女は涙を拭い、目を真っ赤にさせながらも話し始めました。
 
 曰く、近隣の村や町で《怪人赤マント》が現れて、女子供を攫ってはくびり殺すという事件が多数起きているのだそうです。赤い毛布を羽織っているだとか、青い毛布だったが血で赤く染まって赤い毛布に見えているだとか、あるいは上等な外套を羽織った異人だとか……。
「人の噂には尾鰭がつくものです。そのうち、かんなさまへ不安を申す者も現れるかもしれません。その時はどうぞ怖がらず、いつも通りにお答えください」
「承知した」
 僕はその時、奇妙な気分になりました。やれ害獣が現れただの、怪異や呪いの類いをどうにかしてほしいだの、そういった不満や不安を口にすることは村人であればよくあることでした。恐らく、異様な人間が何かをするというのを聞いたのは初めてだったからでしょう。揉め事が起きてもすぐさま当人らが捕らえられ、お祖父様が沙汰を言い渡すことがほとんどで、相手が捕えられていない事態など、村の中では今までなかったことです。
「おもては恐ろしい」
 僕は多分、近隣の村や町の治世が儘ならないことに対して、今暮らしている村が安全でよかった、という気持ちを言いたかったはずでした。しかし何かを間違えたらしく、またも女はメソメソと泣くので、僕は何も言えなくなってしまいました。
 湯浴みを終え、傷の手当ても済み、褥へ上がる頃には月がずいぶん高い所にありました。
「かんなさま、もし……」
 僕は何となく、女が何を言いたいのかが分かりました。
「案ずるな。そのようなことは起きない」
「違うのです、かんなさま。もし、……」
 思い詰めた声に続く言葉は、結局飲み込まれていきました。月明かりが差し込んでいるのに、女の顔は闇に塗りつぶされていたのが、やたらと焼き付いています。
「……お休みなさいませ」
 諦念が滲む声でした。僕は何度も、この夜を思い出します。
 
 あの女はきっと、噂の混乱に乗じて、僕が逃げ出すことを望んでいたのだと今なら分かるのです。
 
 ◆

 夏本番の日、僕は七つになりました。
 毎年のように豪勢な祝いがありました。僕は山ほどのご馳走様に対して眉ひとつ動かさず、静かに咀嚼して一皿ごとに一口ずつ食べていきました。僕が食べるのは一口だけ。僕が食べた後に皆が分け合うのです。
 催し物として皆が僕の前に来て芸をしたり歌を歌うので、僕はそれを観覧して、ことほぎを渡すのが通例でした。飾り牢屋の中から賑やかな一日になるので、僕は自分の誕生祭が好きでした。当時はそう思ってはいませんでしたが、今振り返ると平和で楽しかったひと時だと思えるのです。
 誕生祭の宴が終いになり、皆が恭しく退出するのを牢の格子越しに見ていました。最後になったのはお祖父様でした。お祖父様は誕生祭の最後に、今年一年の振る舞いや出来るようにしておく事を僕に言い渡します。僕は言われた内容がどんな事であってもそれを受け入れるという、儀式の一つでした。
「《かんなさま》としての勤め、ご苦労であった。翌の祭事、結びをもって、お前は神の山で生きよ」
 お祖父様に言われたことが上手く理解できずに居ました。《かんなさま》は僕の名前だと思っていたので、……それが勤めと言われたことで、初めて自身に名前が無いことを知りました。
「――」
 僕はこの時、どの様に答えたか覚えてません。ただ何も感じぬよう、何も顔を動かさぬ様に努めて、頭だけはしっかりと下げたはずです。
 
 不思議なものです。それまでは辛いとか、苦しいとか、そういった心の動きはほとんどなかったと言うのに、僕の両目からは涙が止まりませんでした。

 ◆
 
 祭事の結びは、神の山の頂上で祝詞を捧げる運びとなっています。今までは帰りも担がれて運ばれていましたが、今日は違うのでしょう。
 言い付けられたとおりに、述べて、恙無く終わらせて、そのあとは……。その後の段取りなど何もないのに、僕は役目をしっかりと果たさねばという気持ちに満ちていました。あれから涙が溢れることはなく、目の前の勤めを果たすことだけ考えていました。
「良い夜ですねェ」
 突如、上等な外套に身を包んだ青年が、影法師のように湧き出て来ました。
 屋敷の者たちが神輿を囲みました。何者だ、控えろ、下がれ……などの声が次々と聞こえました。神輿はそれなりに高さがあるので、対峙する青年の姿がはっきりと見えました。怯む事なく、青年は楽しげに答えます。
「イヤァ、何。此処らにカルト村があるってんでね、探し回ったンでさぁ」
 かるとが何を指すか、当時は理解できませんでした。やたらと通る声でした。男が何者なのかは分かりませんでしたが、確かなことは明らかに常軌を逸した男だということでした。あちこちに現れては消えて、奇妙な笑い声を上げるからです。
「聞くにゃ、巫(かんなぎ)が人ならざる美しさってンでお目にかかりたくてねェ」
 神輿の中であるというのに、僕の真後ろから声がして思わず振り返りました。感じたことのない気配で、身の毛がよだつ思いをしました。
 刹那、外からこの世のものとは思えぬ音が立て続けに上がりました。あまりに酷い叫び声であると分かったのは、半拍以上も置いてからです。狼狽える担ぎ手たち、行列を作っていた屋敷の者たちが次々にのたうち回ります。
 かんなさまをお守りしろ、という声がしたかもしれません。あっという間に混乱に飲まれ、一帯に秩序はなく、多くの者の断末魔が耳に刺さりました。
 神輿を支えるものが居なくなり、僕は神輿ごと横倒しになりました。衝撃の弾みで牢屋の格子がひしゃげ、牢屋はばらばらになりながら横転しました。
「ウゥ……!」
 土の上に投げ出されました。足が思うように動きませんでした。腕の力だけで何とか身体を起こしましたが、自らの様が虫籠から這いずり出てきた虫のようだと思いました。あたりに立ち込める異臭と背中の痛みに、息が止まりそうでした。
「お嬢ちゃん、君か。どぉれ」
 乱雑に首の後ろを掴まれて、上を向かされました。ぎょろりとした双眸と、弓形にしなる大きい口に驚きました。屋敷の者たちが落とした提灯は幾つか燃えて、炎がゆらゆらと揺れながら男を照らします。赤みのある炎に囲まれているにもかかわらず、男の肌は不気味なほど青白く、血が通っているとは思えません。
「ヤァ、ヤァ! 噂は真だった。こりゃあ美しい!」
 まるで初めて嬉しくなるものを見たような表情でした。先ほどまでのわざとらしい軽薄そうな素振りではなく、心底そう思っていると分かる声音でした。
「お嬢ちゃん、名は何とおっしゃる?」
「……《かんなさま》。皆はそう呼ぶ。お前は、……何者だ」
「ンン? 巫にしちゃずいぶん偉そうな嬢ちゃんじゃないか。エエ?」
 僕は困りました。屋敷のもにはもちろん、村の者にもこの様な振る舞いをする人間はいませんでした。僕には頭を垂れ、丁寧な言葉で話しかける者ばかりでした。
「……」
「……」
 互いに無言となり、しかし目を逸らしては行けない気がして、僕はジッと彼の目を見つめていました。猫の様な細い瞳孔、夜だというのにギラギラと光るので、獣や人外の類であることは明らかです。あれこれと言っても意味がないと思いました。例え言っていることが理解できても、耳に入れて頭で理解し、応答する……というのは、人間だから出来ることです。
「喰い殺すのか」
 だから、端的に尋ねました。彼の羽織る外套が血を吸って赤マントの様になっていたので、彼が怪人赤マント当人だとも理解していました。辺りは鉄錆の臭いが立ち込めていて、山の匂いと混ざり、目の前の男が人ならざるものであると際立たせます。だというのに恐ろしさは無く、彼の頬に散る血の飛沫を指先で拭ってやる余裕さえありました。……どうせ死ぬのだと、僕は受け入れていたからです。
 辺りは血濡れで、担ぎ手と屋敷の者の全てが皆殺しにされていました。夥しい死体と燃える提灯のほか、虫の声と山風の音がしていました。静寂にしては喧しく、人間のいない空気だからこそ、かえって落ち着いていられる空気でした。
「ナンだ? お嬢ちゃん、怖くないのかい」
「……本日をもって、《かんなさま》ではなくなった。お前に喰われるか、野犬に喰われるかの違いしかない」
 分かっていたことです。勤めで向かえと言われたところで、それが神聖で厳粛な儀式だと聞かされていたところで、僕に飢えて渇いて死ねと言っていたのです。神の山に神は居たとて、人に対して容赦は無いのですから。
「そりゃ、誰かにそう言われたのかい」
「お祖父様。《かんなさま》の勤め、ご苦労だったと」
「ホウ、カルトってのは天辺が賢いとしたモンだが。果たしてなァ」
 僕のことをずいぶん長い間、上から下までじろじろと眺めるので、怪訝に思いました。攫うか殺すかならばさっさと次の行動に移れば良いものを、いつまで経ってもそうしないので焦れていました。
「怪人赤マント」
 そう呼ぶと、彼はぴたりと動きを止めました。耳まで裂けそうな口元から覗いていた歯が見えなくなり、緊迫した空気が漂いました。
「お前は、拐かしに来たのではないのか」
 僕が確認するように言うと、彼は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、やがてゲラゲラと下品に笑い始めました。
「そう、そうだった! しかしナンだ。調子が狂う。お嬢ちゃんが怖がんなきゃ始まらンのだよ」
「何でもするがいい」
 どちらにせよ神の元に逝くのだから。
 赤い絹で織られた着物はかんなさまの象徴でした。希少な絹糸から作られた事は聞かされていましたが、そんなことは無意味になるのです。毎年捧げられていた反物も、金銀財宝も、珍品も、曲芸も……僕は何も持っていけないのですから。
 僕が力を緩めたのをきっかけに、赤マントが僕を血溜まりの上に転がして、着物を乱暴に剥ぎ取りました。
 男はひどく興奮しているようでした。息の荒さはまるで犬の様で、やはり野犬に食われるのと同じであるなと思えました。
 僕の身体を文字通り舐め回し、時折噛みつきます。脚を開かされたと思うと、僕の股に、男は自分の股ぐらを擦り付けてきました。この時、赤マントがしていることが一切理解できませんでした。何度も何度も擦るうち、赤マントは何か違和感を感じ取ったようで、僕の下半身をめくりあげて広げました。
「……付いてるじゃねえか!」
 と、赤マントは叫びました。唐突な大声に驚きましたが、何のことかさっぱり分かりませんでした。
「付いてる、とは?」
「嬢ちゃん、女じゃねえのか!」
 おんな、というのは。子を宿せるのが女と教えられてきました。
 屋敷の者で世話してくれて居たのはほとんどが女でした。担ぎ手は男で、お祖父様も男。僕自身、子が宿せるかなど考えたこともなかったので、
「よく分からん」
 と答えました。
 横暴だ、大嘘だ、神は無いのか、……他にも色々聞いた気がしましたが、とにかく彼はそういったことを喚きました。赤マントがひどく取り乱すので、何か期待はずれだったことだけは分かります。
「女でないなら、殺すのか」
 僕は少し苛立って居ました。殺さないなら、このまま《かんなさま》としての勤めを果たしたかったし、そうでないなら……とにかくはっきりして欲しいと思ったのです。赤マントは何か言いたげに口を開いたり、呻いたり、頭を掻きむしったりしました。僕はその様子を滑稽に思いむずむずとしました。
「嗚呼、もったいねえ! 連れてかえらぁ!」
 一帯は無惨な死体の山が築かれている中、僕はとうとう可笑しくなって大笑いしました。その時に見上げた満点の星空は、今でも忘れられません。
 
 ◆

 怪人赤マントは世に言う極悪人でした。若い女──十に満たない子供から未婚の淑女──を攫い、無惨に殺し、それを巧妙に隠しました。彼は歳を取らず、攫ってきた人の血を啜る怪人でした。新聞を賑わせ、子供のみならずインテリにまで蔓延する流言となり、本人は随分と満足気にしていました。曰く、人が恐れれば恐れるほど都合がいいと言っていました。
 僕は、この怪人と暮らしを共にし、あらゆる知識を詰め込まれて居ました。世に溶け込める喋り方や読み書きを教わりました。表向き、自転車整備を生業とする親子として、ある時は休暇中の石炭掘り、またある時は石屋として暮らしました。共通するのは、広めの倉庫や工房を持っていてもおかしくない職業を選んでいたことです。
 女物の着物から男物の洋服に着替えさせられ、攫ってきた人の話し相手になっていました。一人ひとりで見ればごく短い期間でしたが、彼女らを観察するのは大変面白いことでした。
初めはひどく取り乱すのです。家に帰してほしい、逃してほしい、ということを大抵泣き叫びながら懇願します。その後は、何故か僕も捕まっていると思い込んで、一緒に逃げようと持ちかけて来ます。僕が好んで側に居ること、今まで逃げられた者は一人も居ない事を優しく諭すように告げると、再び泣き叫ぶのですが、次第に自分の死を受け入れて静かになります。
 赤マントの機嫌と、女子供たちの抵抗次第でしたが、嬲るような殺し方はあまりしませんでした。大抵は金属製の寝台のようなものに寝かせて、一瞬で首を刎ねていました。赤マントの目的は生きた人間そのものには興味がなかったのではないかと思います。どちらかといえば、血と肉に用があったと見えます。
 首を落として血を瓶に貯める間、赤マントは自身の肉棒を死体にねじ込んで愉悦に浸るのが常でした。犬のように息を荒くして、がくがくと身体を揺さぶり、狂ったように笑うのです。
 僕はその様子を眺めながら、昨日まで話していた人の首を綺麗にしてやりました。今日の人は、極めて冷静に最期を迎えたので、顔も身体も綺麗でした。長い髪に白い肌、絵に描いたような美しい女でした。赤マントが美しいものに弱いのは知っていました。そしてその肉体に無体を働くときは決まって絶命してからでした。
 犯すのに飽きる頃になると、十分に血が溜まっている状態になっています。それを、まるでビアジョッキを煽る高給取りみたいに流し込んで「プハァ!」と甲高い溜息を吐きます。鼻の下と上唇についた血もなめ取って、結局は文字の通り浴びるように血を飲み、飲み散らかした一帯は真っ赤になりました。その後は、全裸に赤マントを羽織って、満足げな様子で質素な安長椅子に寝転び、そのまま大いびきをかいて眠り始めます。
 僕はその姿を見ながら、首に防腐処理を施して作業棚に飾りました。気が済んだら、念入りに供養することにしていました。
 
「赤マントは、何故血を飲むのですか?」
 ある日、怪人赤マントについての新聞記事を読みながら、僕はそう尋ねてみました。彼はいつも通り、犯し、飲み散らかし、全裸にマント姿で、怠惰な態度で長椅子に寝転んでいました。
「メシだから。ナンだ、見てて気付かなかったか?」
 気付きはしていましたが、飲むことと犯すことのどちらが目的なのかがはっきりしなかったのです。飯であるという答えが得られたのでスッキリする思いがしました。
「血なら何でもご飯なのですか? 人間以外でも?」
「マー……そうだな。猫でも犬でも飲めなくはない」
「じゃあ、何故若い女と女児ばかり攫うのですか」
「美味いからだよ」
「美味いのですか」
 即答されて少し呆気に取られました。何かこだわりがあるとか、そうせざるを得ない事情があるとか、少しは大仰なことを期待していました。
「君ねェ、想像してごらンよ。汗臭い男より、萎びた老人より、若くて柔らかい女子供の方が肉として鮮度が高いと思わンか。スカスカで腐る手前の林檎より、フレッシュで赤くて少し酸っぱい林檎を選ぶだろう?」
 彼は豪勢に食って寝て遊ぶ、大きな子供だと確信しました。衣食住の面倒を見てもらっているのは事実ですが、こうして話していると自分の欲求を我慢しない、出来の悪い兄のように思えて来ました。
「では、ロリコンではなかったのですね」
「失敬極まりないな君ィ!」
 溜息混じりにわざとらしく言うと、すぐさま反応するのでじわじわと可笑しくなりました。しかし引っ掛かるのは、僕を食べなかったことです。鮮度で言えば、今であっても十分ジューシーであると思ったのです。この流れなら聞ける気がして、
「じゃあ、僕を食べなかったのは何故ですか?」
 と素直な目をして尋ねてみました。
 すると、赤マントは押し黙って視線を泳がせた末に、
「……ボカァ、女しか食わない主義にしてンだ」
 と、白状したように言いました。
「何だ、じゃあロリコンみたいなものですね」
「随分ツッ掛かるなチクショウ!」
 最初は死体にしか欲情しない人なのかと思っていたのですが、過去に僕を攫う時に擦り付けられた感触から、生きた人間でもおそらく本来問題はないはずで……。とすれば、犯すのは暇つぶしか娯楽のだろうと結論付けました。
「であれば、益々分からないのですけど」
「ナンだ、まだあンのか」
「僕をどうして元に置いて、育てているのかなって」
 食うでもなく犯すでもなく。世間に溶け込みやすくするための道具としておいて居るとしても、手間隙をかなり掛けているのです。僕が赤マントなら、そんな面倒なことはしないだろうと思いました。
「今に分からぁ。もっと大人になったら教えてやンよ」
「はぁ……、アンタの食い散らかしの処理係と言われた方がしっくりくるのに。もったいつけますね」
 銭湯に行きますよ、臭いです。そんなことを言いながら雑に手ぬぐいを投げつけました。
「お前、この前十になった頃だったよな? 何でそう可愛げのない……」
 教育を誤っただの、産んだ親の顔が見てみたいだの、本気で言っているとは到底思えない文句をブツブツ言うので、僕はクスクスと笑ってしまいました。
 
 外に出ると逢魔が刻でした。二人の長い影がくっついてもっと大きなものになっているのが印象的でした。
 僕はこの頃、とても幸福であったと思います。世間が何と言おうとも……。