怪人赤マント 後編


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 転々とした暮らしをしていたので、赤マントの噂は近隣の県だけではなく全国へと広がっていきました。その頃には、僕は十五になっていました。元々暮らしていた村であれば、成人として扱われる歳になったのです。
 ほんの少し感慨深く思っていると、赤マントが酒を買ってきました。街に降りて買い物や近所付き合いをするのは僕の役目でしたので、だいぶ驚きました。世間では当然、飲酒を許されない歳であることは分かりきっていましたが、彼なりの祝いにくすぐったい思いをしました。
 いつもより豪華なご飯に目を輝かせて、僕は夢中になっていました。赤マントはそんな僕の姿をしばらくじっくりと眺めていたのですが、あまり飲めもしないのに自分の湯呑みに酒を注ぎました。
「しばらくは、人間の暮らしをしよう」
「へぇ、珍しい。どういう風の吹き回しです?」
「些か有名になりすぎてなァ! おかげで目をつけられてる」
 誰にです、と言おうとすると、トタンの壁をノックする音が聞こえました。何となくいい予感がしなかったので、僕はなるべく姿が見えないところに移動しました。
「ヤァ、夜分にすみませんね、自転車屋の旦那」
「イヤ、構わんとも。どうされた」
 声から察するに町内の見回り隊でした。複数人の男が自警団のようなものを結成しているのは町内で聞いていました。
「いえね、怪人赤マントがまた出たってんで、周辺をパトロールしてるんですヨ。旦那も気ィ付けてください」
「こりゃ気に掛けてもらって済まない。ウチにもガキがいるんで、そりゃもう心配してたンだ」
 ひょいと一人が中を覗き込みました。音がするくらい、しっかりと目が合ってしまいました。
「アレッ、まだ食事中だったか。こりゃ邪魔したな」
「嗚呼、ウチのガキが今日で十五になったンだ。ささやかな祝いってヤツさ。ボクも久しぶりに酒を呑んでてね」
 そりゃめでたい! と祝われて、僕は反応しないわけにもいかず、座ったまま会釈しました。男は愛想良く手を振っていました。
「……坊ちゃん、ずいぶん美丈夫だなぁ。どっかから攫ってきたのか」
「ウルセェやい、あいつは母ちゃんに似たンだよ」
 赤マントは、気さくな若い旦那風に軽口を叩きました。奥さんに逃げられたか、蒸発されたか、そういった体で話しているようでした。
「怪人赤マントって見たことあるかい?」
「あるわけねぇだろう。そんなもんに鉢合わせたらボカァ一目散に逃げるぞ」
 少しわざとらしいくらいにおどけて見せました。
「ボカァ、痩せぎすの男だろう? 腕っぷしなんて、てんでダメ。ガキを気にかけて生きてくのに精一杯なンだ」
「はは、ちげえねえ」
 見回り隊はドッと笑い声をあげて、パトロールの続きをしに戻っていきました。
 僕は何だか胸騒ぎがしていましたが、このケーキだけは残さずに食べねば後悔するような気がしました。

 それから数日もなく、赤マントは町人からリンチを受けました。
 
「お前が怪人赤マントだという証拠は上がってるんだ!」
「鏡に映らない、影が見えない! はっきりとそう見たものが居るんだ!」
「見ろ、こんなぶっとい杭なのに死んでない……!」
 僕は、事前に異変を察知した赤マントに押し入れへ無理やり押し込められていました。わずかに空いた隙間から一部始終、ただ目を逸らさずに見ていました。
 赤マントは大勢に囲まれ、火を足元に焼べられ、様々なものを投げられました。塩、日本酒、唐辛子、爆竹、青い紙………全てが的外れであったというのに、赤マントは何かに怯んで一瞬動けなくなりました。その隙に撃ち込まれたのが、杭でした。
「愚かだなァ……、人間てのは」
 血を吐きながら、赤マントはそう呟きました。どうにか這い出てきた時には、もう遅かったのです。
「大した証拠も無いのに、恐怖からリンチする。しかも死んだのを確認せず退散する。なァ、愚か以外に何か思いつくか?」
 僕は、目の前にある光景が信じられませんでした。到底受け入れられませんでした。屋敷の者が皆殺しにされた時でさえ恐怖しなかったのに。赤マントが女を殺して無体を働いた時さえ嫌悪を抱きもしなかったのに!
 この時、僕は慌てて彼のそばに駆け寄ったものの、何も言えませんでした。蹲るように、彼の側に座り込んだだけになりました。
「……ボカァね、美しいモンが好きなんだよ」
 長いため息を吐いていました。そのまま吐ききったら、赤マントの中身が全て抜けていってしまうような気がして、彼の身体を慌てて掴みました。
「色んな人間を攫って食って、時々お前が飾っていた首を見て……良いなぁと思うことはいっぱいあった。けど、動かなくなるのがもったいねぇなんて思ったの、君だけだった。巫としての教育しかされていなかっとはいえ、聡そうな目して、月も隠れるほどの美貌でよ……。大人になって一番美しいだろう時期をなくすのが、本当にもったいねえと思ったンだ」
 頬を撫でられました。僕が出会ってすぐ、赤マントにしたみたいに。彼に拭われて初めて、僕は涙を流していることを知りました。
「よく、育ったな」
 血反吐まみれの笑顔でした。僕は声にならない嗚咽が込み上げてきて、何か激しい感情が胸の内で暴れ回っていました。
「お前に、三つ進路をやる」
 そう言われて、僕はやっと息が吸えました。大慌てで涙を全て拭き取って、決して泣くまいと眉間に力を込めました。
「……こんな時じゃなくたっていいでしょう! アンタ、一体どういう神経してンですか」
「はは、……! ボクの喋り方、移ってンなぁ……」
 杭を抜こうとしましたが深々と刺さっており、それどころか地面に対してかなり深く食い込んでいることが分かりました。僕の力では、取り去るのは到底無理です。乱暴に扱えば赤マントに余計な負担と痛みになることが容易に想像できました。
 赤マントは指折りして見せて、続きを話します。
「一つ目は、ボクと心中すること」
「絶対嫌です。アンタも僕も、死んでたまるか!」
「最後まで聞き給えよ君ィ」
 軽口のような言い方で、緊張の糸が切れてしまいそうな声でした。死にかけには違いありませんが、常人よりも頑丈なために気を持っているせいで、僕を気遣う余計なお世話が見え隠れしていました。
「二つ目は、ボクを継いで怪人赤マントとなること」
 まァこれは無いな、と手をひらひらと振ります。三本の指を立てて、続けました。
「三つ目は、人間の世で生きていく。これが一番オススメだ。名前も戸籍も用意は済んでる。チョイと仕上げの手続きをすりゃ終わりだ。この先、何か疑われるようなことがあったら脅されていたとか、飼われていたとか、適当に言え。お前の見た目なら納得される」
 長々とした口上が、僕を冷静にしてくれました。急激に、僕がしなければならないことを理解し始めたのです。今すぐにでも行動に移さなければ、永遠に彼を手に入れ損なうということも肌で感じました。
「二つ目ですね」
「馬鹿言え」
 即座に否定が入りました。
「駄目だ、駄目だ。怪人なんてオススメしない。本当に面倒だぞ、怪人なんてのは。不老で病気もしないし怪我もしにくいが、こういう致命傷を食らったらすぐにオダブツだ。その上、太陽はやたら眩しく感じるし、血以外を口に入れても何も楽しくない。流行はすぐ変わっちまって疎いままでいるとそれがきっかけで疑われることもあるし、やれ経済発展だとか盛り上がっている今や人間は不味くなってきたし、明るい場所はなお増えてこれからどんどんやりにくくなるし……」
 本当に死にかけてるのかと思うくらいにベラベラと話し出しました。見えすいた強がりであることは明らかです。
「僕を手元に置いておいた理由って、後継者のためでしょう? 情が移ったくらいで計画をダメにするくらいなら、初めからするモンじゃないでしょう」
 察しくらいつきますよ、と言うと力なく笑われました。大人になったら教えてやると言われていましたが、子供は聡いものなのです。
「ナァ、良い子だから。継ぐにしたってさぁ、儀式が面倒なンだって」
「どうせ血を交わすとか、そういうのでしょう」
 そこまでアタリが付いていたとは思っていなかったのか、赤マントの表情から薄ら笑いが消えました。
「アンタ、元は血を吸う別の怪異なんでしょう? ドラキュラ、ヴァンパイア、吸血鬼……。噛まれたら仲間になるだとか下僕にされるだとか、そう言う類の」
 細かな分類は学がないので分かりませんでしたが、血を好む人外だと言うならば、外れていないという自信がありました。赤マントの側に転がる粗末な十字架が決め手でした。他にも否定のしようがない事実を多く目にして来たのですから。
「ナンだ……、バレてたかぁ」
 死に損ないとは思えないくらいに、砕けた笑顔でした。同時に涙も流していました。不意に、鬼の目にも涙という言葉を思い出しました。
「頼むよォ、死に損ないの言うことくらい聞いてくれ。人間のままで居られるなら、それに越したこたァないだろ?」
「知りませんよ、アンタの都合なんか」
 泣き落としに来るセリフを切って捨てる言い方をしました。彼に、僕を恨むように仕向けなければ。文句を言いながら、いつものようにギャアギャアと騒がせなければ。
「立場、分かってもらえます? 僕がアンタの言うことを聞いたことなんて、あんまりないでしょう」
 僕は多分、大変な悪餓鬼の顔をしていたと思います。赤マントの表情は驚きに満ちて、みるみる青褪めていくものですから愉快でした。
「僕は僕の欲求のままに、アンタを奪うってだけですから」
 半ば噛み付くように口付けました。驚きによって隙ができたので、舌を滑り込ませて口内を引っ掻き回しました。血のせいでひどい味でしたが、ちっとも不快に感じませんでした。
「え、ボク、こっち側……!?」
「しょうがないでしょ、アンタに打ち込まれたもの、僕の力じゃ抜けないんだから」
 一生に一度の好機で、これきりの行為。僕らの関係は常識的で普遍的な言葉で言い表せず、歪みの上にしか成り立たないものなのです。
 僕はいつから、人間のつもりでいたのでしょう。
「けどさ、今のアンタでも」
 質素なズボンをずるりと脱がしました。血溜まりの上に転がる赤マントは、かつての僕みたいに見えました。
「受け入れることは出来るでしょう?」
 赤マントが女たちにしていたように、ニタリと笑います。青ざめていた彼は、今度は瞬間的に赤くなりました。
「本ッ当に、可愛げのない……!」
 最後まで言わせたくなかったので、減らず口を塞ぐためにまた深く口付けました。舌で歯列をなぞって、頬をくすぐり、上顎を突くと、溶けきった顔をしていて、一気に妙な気分になりました。
 股に僕のモノを擦り付けると、大袈裟なくらい反応しました。ゆっくりとした律動で押し付けると、下着の布越しに互いが擦れ合って高まっていくのが分かります。僕も下だけ寛がせて、少しずつ素肌に近づけていきました。
「ねえ、アンタ好みの美人にさ、……ッこうやって、好き放題されるの、結構本望ナンじゃないの?」
「う、うぅ、クソぉ……!」
 口付けがよっぽど気に入ったのか、すっかりだらしない表情になっていました。なのに言葉だけがいつもの調子なので可笑しくて。男なのにややくびれたウエストを持って、より密着させると嬌声が上がりました。
「ボカァ、君を……! そういう、生意気なガキにしたかったンじゃないやい!」
「じゃあ、どういうのがいいンです?」
 赤マントの下着も取り払って、素肌同士となった状態で互いのモノを擦り合わせると、血の滑りと興奮のために僕のモノはすぐに立ち上がっていました。痩せっぽっちの腰を抱えて、僕のモノを赤マントに突き立てました。
「ッ! ぁ、嘘だろ、本当に……!?」
「ここまできてヤらない訳がないでしょ」
 先端だけ侵入すると、あまり抵抗なく彼の中へと沈んでいきました。中はぎゅうぎゅうとしていましたが、溶けてしまうくらいに熱く、どんどん余裕をなくす赤マントが楽しくて仕方ありませんでした。
「ぅあっ、アッ、んっ、ンンッ、……!」
「フフッ……、痛くないですか」
「目眩が、するぅ……」
 そうでしょうね、と耳元で囁くと仰け反りました。杭に打たれた胸から肉と棒が擦れる音がして、ますます倒錯的な光景になりました。僕が抜き差ししている杭で、赤マントをゆっくりと殺している錯覚に陥ります。彼も、痛みだけではない感覚を拾っているようでした。
「かなり良さそうになってますね」
「ぁっ、ヤメ……! 要らない、それ、儀式に関係ない……!」
「気分には必要なんですよ。ほら、聞こえます? クチュクチュいわせて。いやらしい……」
 緩く立ち上がった前の芯を扱くと、あっという間に硬度を持って弾み出しました。
「ひ、ぁ、アァッ、無理、無理、無理だからァ!」
 グチュッグチュッと派手な音をわざと立てると、あっけなく白濁が吐き出されました。鼓動のポンプに合わせて放出される熱と、伸縮する中の肉壁に、僕は追い立てられて行きました。
「う、ああァ!」
 間髪開けずに激しい律動で赤マントの奥を穿ちました。何度も揺さぶって、僕のモノを打ち込んで、夢中で彼を堪能しました。本能に近い征服欲が身体中を駆け巡って、僕は彼の血が全て欲しくて堪らなくなっていました。
「はぁぅ! あ、はァ、……! あ、ぐ、あっ……うう、うぁっ……」
 その間、彼は断続的に達していたようで、朦朧とした様子で僕を受け入れていました。腹は彼の白濁と血が混ざり、肉のような色をしていました。僕は渇きを感じると同時に、彼の喉笛が堪らなく美味しそうに思えてしまいました。
「貰いますよ……」
「ッ……あ、あぁ……、あァー……」
 思い切り歯を立てて、皮膚を破きました。だらしなく空いた口から垂れ流しになる声も、口いっぱいに広がる血の味も、僕の身体へ強烈に染み渡って行きました。いつの間にか、彼の血は甘くて、錆臭さもなくて、飲んでも飲んでも次が欲しくなるほどでした。
「ッ……!」
 僕は彼の中で爆ぜました。彼の腰を抱え直しながら血を啜ると、これ以上ない多幸感で満たされました。今までの僕は怪人になるための外殻に過ぎず、初めて今、芯や中身を手に入れたのだと思いました。
「……あったかい」
 牢屋に閉じ込められて、首と対話して、今は親代わりの怪人を抱いて。人の温もりというのを真に知った瞬間でした。
 僕の手首を噛んで、血を赤マントの口の中に垂らしました。彼はほとんど無意識に嚥下して、再びゆするように呻きました。
「美味い……確かにね」
 文字通り、彼の身体を舐め回して時折噛み付き、十分に交わっていきました。
 
 ◆

 長い時間が経った、と思う。
 年号が二つ変わっても、俺は十五の姿のままだった。
 
 クロゼットには、流言と流布の数と比例した《赤マント》の姿があった。
 血を吸った上等な外套、裏地を真っ赤にした将校のコート、赤い毛布、赤いトレンチコート、怪人そのもののイメージになった黒と赤のマント、……。僕が喰った赤マントは、すっかり僕に取り込まれているが、存在は感じている。思いの外、寂しさはなく大仰にお別れめいた儀式をしてしまったのが気恥ずかしいくらいだ。
 1970年を過ぎて、赤いおくるみの赤子を攫ったりもした。小学校『赤いマント、青いマント』の怪談が作られたのと同時に、自然発生と変異を繰り返す奇談となって《怪人赤マント》は復活し、また新たな姿へと変わっていく。今は赤いパーカーを愛用して、新しい《怪人赤マント》の下地を作っている。
 全国各地を回るのもずいぶん楽になった。インフラ整備がされれば人が行き来する。人が行けば言葉が交わされる。今までの噂話や怪談も浮上し、人の口に登る。街が明るくてやりづらいのは精々食事であるが、田舎ならば暗いところはいくらでもあるので人を攫うのは造作もない。首だけの弔いは引き続き続けていて、それがどうやら、また別の噂を呼んでいるらしい。

 長く生きていれば色々なものを見る。
 とある病院で、怪異が生まれる瞬間を見た。手鏡に映る自身の姿を受け入れられず、発狂した少女の懺悔と怨讐がねじれていく様を。

 とある田舎で怪異に魅入られた少年がいた。すっかりすくみ上がっている少年に対し悪戯心が湧いた。
「無事に済めばいいなァ」
 
 人の恐怖心を煽って、生きて、糧にして。怖がる人間の前に意図的に現れては、消えていく。アンタみたいに軽薄に、軽率に、あらゆるところを巡って生きていく。
 次の《怪人赤マント》として、各地に足跡をつけながら、噂に尾鰭をつけながら。