思わぬバズりを体験したので初心にかえってみた

 こんにちは! 絹田屋です。
 アクスト超ビビりました……4万RT、9万いいねって何……???

 人生は何が起きるかわかりませんね!! くるめさんには感謝してもしきれません……!!
 あ、くるめさんのHPはこっちです。関連のお問い合わせはすみませんがそちらへお願いします。。

モノくるピクト

 おかげさまでフォロワー様は2000人を超え、500人ほど増えました。当初予定していた通期目標をあっさり達成してしまいました……。
 新しい人やジャンルと出会い、なんだか自分の世界が少し広がったような気さえしました。話題になって嬉しい限りです。

 こうやって舞い上がってるときが一番怖い。

 基本ビビリなので、絹田屋の初心を書きながら、心を整理したいと思います(*´ω`*)

絹田屋の初心

 「ファンを大事にしましょう!」ってどんなところでも言うじゃないですか。結論から言っちゃえば、私の初心はこれです。
 「なんだつまらん、解散!」って思う人は、きっと私のファンじゃないと思うので帰ってもいいです(笑)
 「ファン」と軽く言いますが、「ファン」ってどんな人かというのを、皆さんは考えたことはあるでしょうか?
 イベントで必ず来てくれる方、新刊を必ず買ってくれる方、長文の感想を送ってくれる方、差し入れを持ってきてくれる方、……

 だけでしょうか?

 今、例であげた方もファンかもしれません。でも、作者から離れているファンだっているのでは?
 それを念頭に、ちょっとお話させてください。

「ファン」って誰だ?

 よく、マーケティングでは「リード獲得」「ユーザの囲い込み」「ナーチャリングしての刈り取り」なんて言葉を使います。
 どれも「関心がある人を獲得する」「好きになってくれそうな人の外堀を埋める」「じっくり育てた人を刈り取る」という意味です。
 ざっくり言えば、種まき→土の整備→収穫って感じなんですが……

 野菜かよ

 と常に思います(笑)
 でも、ユーザならそれでいいです。ぶっちゃけ。プロフィールを入力せず雑にしている感じのユーザだと、顔が見えない物体みたいなものです。
 なんかのサービスに登録して放置している系の人、いるんじゃないでしょうか。
 そういう場合は、ユーザの解像度をあげなければならないので、上記のような野菜扱いを受けます。

 当たり前なんですけど……

 ファンは人間です。

 ファンは獲得しちゃだめです。なってもらうものです。
 ファンは囲い込んじゃだめです。囲い込むとか怖いわ!
 ファンは刈り取っちゃだめです。最悪だよそれ!!!

 大抵のファンは、ブランドそのものを愛してくれています。
 代替可能な部分も「そのブランドが好きだから」という理由で買ってくれたり使ってくれたりします。
 企業的に言えば、ファンは売上を支えてくれている上位二割を指します。

 実はこれ、さとなおさんの「ファンベース」のお話です。企業的な話はこっちの書籍へ
 (回し者じゃないです。私もさとなおさんのファンってだけです……笑)

ファンベース (ちくま新書) 新書

じゃあ創作におけるファンなら?

 創作で売上の話をすると「貢いでいる奴がえらいのか」という論調の声が聞こえたりもします。
 ファンは他のユーザよりもえらくはないですが、贔屓すべき人間だとおもいます。
 何か勘違いされそうなので明言しますが、ファンと言えど神様ではない。贔屓=特別扱いとも違います。

 「私は貴方を知っています」と、声を掛けるべき存在だと思っています。

 それって、普通の人間同士のコミュニケーションだったりします。
 イベント会場に来てくれたら、お礼を言います。差し入れを頂いたら、お礼を言います。
 何より作品を購入して感想までくださったら、次の話を書くために計画を実行するし、実際新刊を出します。

 「あなたのために書きました!」は押し付けなので
 「あなたの声が励みになりました!」とお礼を言います。

 とにかく感謝。実際ありがたい話なわけで、私は他の人からたくさんのものをもらって生きていると思っています。
 何より、お金というのは共通言語なんです。各自が何にでも交換できる便利なチケット。
 「この本にはこのチケット分の価値があると思います」と言ってくれるから、買ってくれるわけです。
 新刊が1000円だとして、そのお金がどうやって生み出されたか考えたりもします。バイトだったら1時間ちょっとでしょうか。
 バイトで1時間ちょっと使って稼いだお金を、私に渡してほ本と交換したばかりか、それを読むために更に数時間割いてくれる、といっているわけです。

 わかりますかね?

 私の本を読まずに数時間バイトしたら、更に数千円の現金が得られるのに、私の本を読むと言ってくれるのです。
 つまり、私の本には実質5000円以上の価値があると言ってくれているのと同義なのです。

 それをファンと言わずして、なんと言いましょうか。
 たとえ積ん読の中にあったとして、それを保管する家の中に置いてもらえるわけです。
 家賃の数十分の一のスペースに置かれるから、やっぱり同等の価値があると言ってもらえていると思っています。

ファンは「作る」では「なってもらう」もの

 ファンづくり、なんて言葉はずーっと昔から聞きますね。個人的には違和感を覚える単語です。
 あれです。友達つくりや恋人づくりに似ている。

 作った友達は社会性においてのみ行動をともにする(陳腐な言い方をすればグループから外れたくない一心のみ)もので、長続きしません。
 作ったファン(らしきもの)も同様です。RT&フォローでxxプレゼント! だけではファンになってもらえません。
 それはさっき言った、「リード(関心があるっぽい人)の獲得」にしかなりません。しかもキャンペーンが終了したらそいつは消えます。
 物理的な利益のみは社会性にひもづくものなので、非常に刹那的です。
 でも、ファンになってもらうための仕組みややり方はあります。

 絹田屋の小説そのものはすべて無料で読めます!
 今回の二人展で来場者の方へそう伝えたら、かなり驚かれました。
 「もったいない!」「太っ腹ですね」「良いんですかそれで」などなど。
 それで良いんです。Webはあらゆるものが無料で転がっていて、何よりも速く伝達することに価値があると思っているからです。
 それでも、ネット上で読むにしたって、時間を使わねば読めないわけです。

 読んでもらえれば、作品の世界観が広がってます。その世界観が好きになってもらえれば万々歳です。
 複数の作品を読めば、絹田屋の世界観を感じ取れます。絹田屋のクセみたいなものが好きになってもらえたら五体投地です。

 私がWebサイトで、本編をすべて公開しているのは、色んな人が【絹田屋】の【作品】のファンになってもらえたら嬉しいからです。

 作品だけが好き、絹田屋が好き、どっちでも良いのです。
 この「好き」が、とても大事だと考えています。

 先程の記述で「社会性に紐づく利益」と記しましたが、その対比とするならば「情緒性に基づく利益」とでも申しましょうか。
 古代では「いとをかし」、一昔前なら「超やばい」、今なら「まじエモい」で表されるところです(笑)

 SNSはリアルタイムでおしゃべりする場所です。
 好きだと思ってもらえたら、何かしらのアクションはあると思います。
 イベント然り、通販然り、ツイートのいいねボタン然り。もしかしたらリストに突っ込んでるかもです。
 なにかしら時間を使って、【絹田屋】ないし【絹田屋の作品】を見ていて、応援してくれる。

 つまりは、長期的に時間を使ってもらい、その上支えてくれるファンというのは、「好き」という気持ちから支えてくれる方でなければ、なり得ないのです。
 だから、ファンになってもらう、が正解なのです。

 長期的な応援を含め、通貨を通して支援してもらっているから、次があるし、絹田屋は新作が出せます。

 絹田屋の新作は、あなたのおかげで出来ています。本当にありがとうございます!

まとめ

 あっさりまとまるかな、と思いきや、結構長くなりました。
 思わぬバズりを体験したからこそ、絹田屋は「ファン」を大事にしたいと考えています。
 二人展のお話はこの次でしっかり振り返りたいと思います~!

 今後共どうぞ、よろしくお願い致します!