創作者が作品の善し悪しを決める!? 創作者がやるべき事とやってはいけない事

 こんにちは、絹田屋です!
 ツイッターをしていると、なんとなくTLから人となりがイメージ出来ることってあるかと思います。
 そんな私は、以前 #フォロワーさんからイメージを貰って大正ロマンキャラを作る というタグをやってみたところ、
 軍服・学ラン・マントを着用し、煙管を咥え、軍刀を振り回し、黒髪ロングで切れ長な瞳のクールビューティー! という要素が集まりました。

恐れ多すぎる。

 絹田屋としてはそれなりに身ぎれいにした大正ロマン女史です。中の人のスペックを脇に置いて言っていいのなら!(笑)
 今日は、創作者としてのイメージと作品のイメージを保つために気にしているポイントを、「やるべき事」「やってはいけない事」として振り分けてみようと思います。

己と、他所から見た己を知る

 マインドマップってご存知ですか? 大きな要素から関連していって、枝葉を広げていくものです。
 就活の自己分析なんかでも行っているかも知れませんが、サクッとやってみましょう。
 他者からのイメージと自分自身の乖離は少なからずあるものですが、当然重なる部分もあるわけです。
 私のなかの絹田屋と、他者から見た絹田屋の違いはこんなところです。

セルフイメージと他者イメージ

 み、みえるかなこれ……張り切って広げすぎてしまった……(笑)
 交流はしたいんですけどね、キャラ設定からはなしを考えるのがめちゃくちゃ苦手で上手くできず……。。うちよそが嫌いなわけでは無いんです……精進します……。
 制作物も、現在出しているのは小説とアクセのみなので、ズレがあるのは当然ですね。(さっさと表に出せるクオリティになりたい)
 ズレているのは、印象とタイプじゃないかなと思います。
 個人が持っているイメージとしては、モガなんです、絹田屋。でも所謂モガらしいことはつぶやいても居ないし、着物トークもしないし、メイクなんかも出しているわけではない。
 それでも抱かれているのは、近似値といえる「大正浪漫」です。恐らく作品の大正浪漫&耽美系のイメージかと思います。

 イメージが正確に伝わっていないのは、「私はモガです!」と<TL上でアピールをしていないから>なんです。

 とってもシンプル!!

 つまり(Twitterに限った話で言えば)自分と他人のイメージを埋めたければ、アピールすれば良いわけです。
 ここで必要になるのが、効果的にアピールするために「どんな自分なのか」「どんな自分だと思ってほしいのか」を分析することです。

 ↓ 絹田屋が、絹田屋として心がけている姿です

絹田屋として心がけている姿

 あー確かにね! と思っていただけたなら嬉しいです!(笑)
 やるべきこと・あるべき姿としては、この図に則った振る舞いをする、ということです。
 自分が思っている自分なので、そんなに難しくないかと思います。「たぎる」とかいい例です(笑)
 好きを語る、というのも心ゆくままに出来るものです。何のファンなのか、何が好きなのかを発信するのはなんら問題ないです。

 では「どんな自分だと思ってほしいか」という時の図を見て貰う前に、視点を切り替えます。
 「どんな自分だと思ってほしいか」というのは「どんな自分だと思ってほしくないか」と両面で考える必要があります。
 ↓ それをふまえてこちら

やってはならないこと・あるべきでない姿
絹田屋ではやらないこと・あってはならない姿

 わかりますかね。
 「ロマンティック」はあっても、「ゆめかわ」のイメージは無い。
 「博識」はあっても「ひけらかす」ことは無い。
 「寛容」はあっても「傲慢」「投げやり」は無い。
 「ポリシー」はあっても「自分ルールを押し付ける」ことはしない。
 などなど。

 この、「~ではない」を洗い出すことがとっっっっっても大事です。
 そうすれば、他人と自分のイメージの、根本的な部分のズレを減らすことが出来るからです。
 言葉のズレというものは、とても難しく怖いものです。
 例えば「発信した」だけだと本人が思っていたとしても、他人から見たら「押し付け」になったりもします。
 ポリシーの話が例に上げやすい。
 私は「完結してこその創作」と考えていますが、「創作者であるならば完結させるのが最低限の義務」などとは言いません。
 高圧的だし、そんな発言みたら自分だってしんどいです(ヽ´ω`)

 話を戻して。

 やってはならない事。これって、大抵のことは一般化できます。
 創作アカウントならば特にしてはならない部分について、絹田屋が気をつけている要素から抽出してみました。

やってはならないこと

【他ジャンルを貶めない】
 これ。まじで何よりもこれ。
 「xxとかマジ終わってる」「xx界隈とか嫌い」「xxとかお遊びじゃんw」「xxに逃げる奴は大抵ヘタレ」とかね。
 それわざわざ表明する必要ある? と一旦冷静になるべきです。表明したからって世界や相手は変わりません。相手に期待するな。変えられるのは自分だけだ。
 どーーーーしても言いたいときは唾吐き用鍵垢FF0の痰壺アカウントでも作りましょう。汚いものを抱えたって良いんですよ。清潔に保つために不潔なものは吐き出すに限ります。
 でもその一面は「創作アカウント」には出さないようにしましょう。別の場所に隔離するのが一番です。


【ゲームスクショを頻繁に更新しない】
 案外これ、連発する人多いんじゃないのかなーと思います。
 「あ、このゲームやってるのね」と認識してもらう程度なら良いかと思います。人気ソシャゲは共通の話題にしやすいし、キャラデザの参考にしている人も多いでしょう。
 だた、メディア欄をサーッとスクロールしてすべてゲームスクショで埋まってしまうくらいに載せてしまうと「え、この人のアカウントってゲームアカウントだっけ?」みたいに思われてしまう可能性もあります。
 「創作アカウント」というアピールをしたいのであれば避けるべきです。
 版権の二次創作も、一次創作アカウントならば時々アップする程度なら良いんじゃないかなと思いますが、CPが付随する場合は注意しましょう(言うまでもないか!)

【否定や批判にキレない】
 ほんとこれ。
 マジで意味ないです。
 批判してきたのが誰か明らかである場合とない場合、更に発言者が有識者とそうでない場合があるでしょう。

 大した事ない人間かつ身元不明匿名者の人格否定なら5秒でわすれろ。絹田屋との約束だ!

 有識者であると明らかである場合は、レビューを受けたと思うことにしましょう。
 もし、感想がほしいと言って頼んだとするのであれば、キレるのはお門違いです。
 有識者は大抵責任ある立場にあります。(その場合、同人創作というか商業の人かもしれない)
 そんな人は暇じゃないです。時間ないです。そんな中、わざわざ時間を割いて読んでくれたのなら、まずは感謝して然るべきです。
 有識者でなかったとしても、読んでくれたならまずは感謝すべきです。感想を貰っているのにお礼を言わないなんて論外です。
 その感想の中に、否定や批判が含まれていたとしても、です。
 内容についてまともに取り合うかどうかはその後の話だからです。まずはお礼。感謝。でも受け入れるかは方針と照らし合わせて、冷静に決めましょう。

 どっちにしたって批判にキレるのはいい印象を与えないし、感情的な口調は見苦しいです。時間の無駄で一利も無いです。
 どうしてもキレ散らかしたい時は痰壺アカウントでも(以下略

どうして行動を定めるのか

 「創作アカウント」と言うからには、何か作品ないしはキャラクターが存在するはずです。
 とても素敵な作品であるにもかかわらず、生みの親である作者が罵詈雑言を吐き散らかし、読者を馬鹿にするような人物だった場合、読み続けるでしょうか?
 私だったらブロミュするし、作品も見なくなります。
 玄人であれば「そういう一面もまたその作家らしい」と思うファンがいるかも知れませんが、そんなものは極端な一例であって、自分自身に合致する訳がないくらいに思ってください。
 生み出した作品を磨くのも、輝かせるのも、作者の仕事です。たった自分の行いが作品の輝きを邪魔するなど、勿体無いと思いませんか。
 逆に、この作者はこういう人物で、こういうものを生み出している、と分かりやすくしていれば、新たに読者になってくれる人の心理的ハードルを下げることが出来ます。

 マーケティング用語として、これらの手法は<ブランディング>と呼ばれます。
 ブランドとしての印象を設計し、生産する作品(商品)を欲している人に届ける。
 作者はブランドです。だからこそ、自分自身の内面や性格と切り離して、醸成すると良いかと思います。
 なぜ切り離す必要があるのか。自分自身のコントロールは、多くの人にとって難しいからです。
 自分自身と作者としての自分は別物(ブランド)であるとした上で、「作者としてどう思われたいか」「作品としてどう受け取って欲しいか」を考えましょう。

 作品はあなたから生まれたものです。子供のように思える存在でしょう。しかし作品はあなたではありません
 だからこそ、子供にはきれいな洋服を着せて、髪を梳かして、お化粧をさせて、綺麗な作品として世に出してあげましょう。
 親である作者が、子である作品に泥をかぶせたり、タバコの焼き痕をつけたりしてはいけません。
 行儀の悪い親を見て、子供の出来を想像してしまうのは他人なら仕方の無いことです。
 「親(作者)を見て子供(作品)を判断しないでほしい!」というのは、子供(作品)だけが言えるセリフで、親(作者)が言うセリフではありません。

 しかし同時に、あなたもまた親だけの側面が全てではありません
 作品(子供)が評価されたからと言って親(作者)自身の価値があがるわけではありません。
 作品(子供)が批評されたからと言って、親(作者)自身が否定されたわけではありません。
 有名になったとて、それは永劫、「あなたはあなたである」というそれ以上でも以下でもない事実は不変です。
 作品に対して親らしく振る舞うために、自分自身から切り離して、「作者としてどうあるべきか」を一度考えてみませんか。

まとめ

 「自分はこういうものです!」とアピールするために、やるべきこと・やるべきではないことを連々と書いてきました。
 やるべきこと・やるべきでは無いことを洗い出すため、まずは分析する必要があると書きました。絹田屋はマインドマップを用いましたが、他にも色々方法はあるかと思います。
 分析する理由としては、作者としてのブランドを持つことで、作者としての振る舞いを冷静に考えるようにするためです。
 (同時に、作品・作風に対する批判について、あなた自身が傷つくことを防ぐことができます)

 やるべきでは無いことは、一般化できるものばかりなので例として挙げておきました。
 人間としての品性を保つ努力は、常にし続けなければならないものかとも思います(笑)

 全ては作品を読んでもらうため。作品を愛してもらうため。作者としてのブランドを好きになってもらうため!
 参考になれば幸いです(*´ω`*)

追記:

 あ、そうそう。
 これらの分析の副次的な恩恵としては、他者との比較をしなくて済みます。
 そうすると、他者の作品もより素直に受け取れるようになります。変な嫉妬がないからね!
 妬み嫉みを滲ませる作者は近寄りがたいです。それがなくなれば、より一層人が寄ってくるんじゃないでしょうか!